2009年6月28日 大人と子供の礼拝説教
  聖  書  使徒言行録13章1〜3節
  説教者  山岡 創

「 礼拝から伝道へ 」

 こどもチャペルの今月の聖句暗証、覚えていますか? 使徒言行録9章6節。
「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」。
 これは、天の上からイエスさまが語りかけた言葉でしたね。では、この言葉を聞いた人がだれだったか、お話、覚えていますか? そうです、サウロ(パウロ)さんです。
 “イエス・キリスト、反対!教会、反対!”。サウロさんって、そういう人でした。イエスの教えは間違っていると思っていたからです。反対!と口で言うだけでなく、行動でイエスさまに、教会に反対しました。イエスさまを信じる人をつかまえて牢屋に送り、教会を潰(つぶ)していきました。
 そんなサウロさんが、ダマスコという町に行く途中で、天から強烈な光が射して、目が見えなくなります。そして、イエスさまの声を聞きます。その時、聞いたのが、先ほどの言葉、「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」でした。サウロのなすべきこと、それはイエスさまに反対することではなく、イエスさまを伝えることでした。こうして、サウロさんはグルッと180度、方向転換して、今度はイエス様の教えと信仰を、熱心に人に伝え、教える人に変えられたのです。

 ところで、かつてサウロさんが、イエスさまを信じる人々をつかまえて牢屋に送り、教会を潰して歩いていた時、みんながみんな、つかまったわけじゃない。逃げた人もたくさんいました。逃げた人たちは、ただ逃げただけじゃない。なんと、逃げた先でイエスさまのことを話して伝え、そこに新しい教会が生まれたのです。そのようにして生まれた教会の一つが、今日の聖書に出て来たアンティオキア教会です。この教会は、ユダヤ人だけじゃなくて、初めてユダヤ人以外の外国人にもイエスさまの救いが伝えられた教会です。だからね、アンティオキア教会にはユダヤ人もいれば、ギリシア人もいる。ローマ人もいれば、アフリカの人もいる。そんな、国際的な教会だったのですね。
 そして、このアンティオキア教会を指導していたのは、5人の預言者や教師たちです。1節にこの5人の名前が出て来ます。バルナバ、シメオン、ルキオ、マナエン、サウロ、‥‥‥、あれっ!?サウロがいる! そう思いませんでしたか?
 そうなんです。この1節に出て来たサウロは、あのサウロです。かつてイエス様に反対し、教会を潰していたサウロです。サウロが教会を潰したせいで逃げた人たちが新しく生み出したアンティオキア教会の教師に、サウロがなっている。神さまは、とても不思議なことをなさるなあ、と感じます。でも、神さまは、お前はかつて教会を潰していたから、だめだ、とは言わない。お前には、すばらしい力があるから、それを私のために使ってほしいと、その人を用いてくださいます。神さまのなさることは不思議だけれど、人生の味があります。そういうふうにして、一度は大失敗をしたサウロさんも、やり直すことができたのですね。

 さて、アンティオキア教会で、礼拝と断食が行われていました。この時だけじゃないよ。もちろん、毎週日曜日、礼拝と断食が行われていたはずです。
 断食って、何だか知っていますか? それは、ご飯を食べないこと、ご飯を抜くことです。きっとおなかが減るだろうね。
 実は先生(私)も今、ご飯を抜いたり、減らしたりしているんだ。それはね、このおなかを引っ込ませるためなんだ。ダイエット、メタボ解消、健康のために、やっている。
アンティオキア教会の人たちもダイエットいていたのかな?
 そうじゃない。彼らは、神さまの声を聞くために、神さまの心を知るために、断食していたんだね。当時はそういう習慣があった。今でも、断食する教会もあります。もちろん、断食さえすれば神さまの声が聞こえる、神さまの心が分かるわけではない。3節には「断食して祈り」とありますが、この断食はお祈りとセットになっている。ご飯も食べずにお祈りに集中する。祈って祈って、“神さまのお考えは何ですか?”と求めるのです。礼拝で心を開いて御言葉を聞いて、断食して祈る。御言葉を聞くことと祈り。この2つに集中すると、神さまの心が分かるようになって来る。「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた」(2節)とありますね。聖霊(神さまの霊)が告げた、というのは、御言葉とお祈りによって、アンティオキア教会の人たちが、神さまの心、神さまのお考えをはっきりと知った、ということです。

 聖霊は彼らの心に、こう告げました。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」(2節)。二人に決めておいた仕事というのは、アンティオキアから海の向こうの国々へ出て行って、イエスさまの救いと信仰を宣(の)べ伝えることでした。
 でもね、アンティオキア教会にとって、バルナバとサウロを送り出すことは、とても痛いことだったと思います。なぜなら、この二人はアンティオキア教会の中心だったからです。チームで言ったら、キャプテンと副キャプテンがいなくなっちゃうようなものです。それは、チームの力が大きくダウンするよね。アンティオキア教会がバルナバとサウロを送り出すということは、そういうことだったのです。
 さあ、アンティオキア教会はどうしたでしょう? 二人を送り出すのは困る、と言って、二人を引きとめたかな?
 そうじゃないね。教会の人たちは、バルナバとサウロのために、断食して祈り、祝福して出発させたんだね。そうさせたのは、礼拝と断食、つまり御言葉と祈りによって、みんなの心に働いた聖霊でした。
 みんなは「聖霊」を感じることがありますか? 聖霊って、よく分からない。目には見えないし、手では捕(つか)めないし、そんなのいるの?って感じだよね。
 でもね、聖霊はきっとあるのです。真剣に礼拝と断食をする、つまり言い換えれば、真剣に聖書の御言葉を聞いて、熱心に祈る。中途半端じゃだめだよ。真剣に御言葉を聞いて、熱心に祈り続けていると、必ず私たちの心にも聖霊が働きます。神さまの心が分かって来ます。そして、サウロさんが自分のなすべきことを知ったように、「あなたのなすべきことが知らされ」ます。

 話は変わりますが、もう10年以上前、当時4歳の長女と2歳の長男を連れて3人で、越生町にある西高取山をハイキングしたことがありました。大人なら1時間もあればグルッと回れるコースです。幼児がいても2時間ぐらいかなと思っていたのですが、行けども行けども、自分が思っているところに出ません。枝が倒れて行く手をふさぎ、途中で長男は眠ってしまい、やっとのことで山を下り、一般道路に出たのですが、そこは全く見当違いの場所でした。山の分かれ道には道しるべが立っていて、ハイキングをする者に行く先を示してくれます。しかし、途中で道しるべを見落としたのか、それとも道しるべがなかったか、ですね。
 私たちの人生にも、大なり小なり分かれ道があります。そこでどちらの道を選ぶか、道しるべがあれば助かります。御言葉と祈りによって、自分の「なすべきこと」が示されます。それは、私たちにとって大切な“人生の道しるべ”になります。
 私たちは悩んだり、迷ったりするけれど、その時、御言葉と祈りが、神さまの聖霊が、“こうすることが正しい、愛がある、私の考えとピッタリ!”と教えてくれる。それに従って生きる時、私たちは勇気と元気に満ち溢れて進むことができるのです。御言葉と祈りに、聖霊に従って進みましょう。





   ウィンドウを閉じる