2010年5月16日 聖霊降臨祭ペンテコステ礼拝(大人と子供が共に守る)
  聖  書 使徒言行録2章14〜21節

  説教者  山岡 創

「 神を呼び求めよう 」

 “不思議な風が、びゅうっと吹けば‥‥”、先ほど、この讃美歌、改訂こどもさんびか94番を歌いました。今から2千年ほど昔、ペンテコステと呼ばれるお祭りの日に、不思議な風がびゅうっと吹きました。ペトロさんたち、お弟子さんたちが集まっている場所に吹きました。
 その時、「激しい風が吹いてくるような風が天から聞こえ」(2章2節)と、と聖書に書かれています。びゅうー! そして激しい音が止んで、ハッと気づくと、そこにいる一人一人の頭の上に、舌の形をした炎のようなものがとどまっていたのです。すると、そこにいた人々、ペトロさんも、他のお弟子さんも、女の人も皆、神さまの救いを語り出した。神さまを賛美し始めた。しかも、色々な国の言葉で語り始めた、と言います。ガリラヤ地方という田舎の出身で、自分の国の言葉以外は話せないはずの人々が、色々な国の言葉で神さまのことを語り始めたのです。とても不思議な事が起こったのです。
 それが、不思議な風の起こしたペンテコステの日の出来事でした。不思議な風、それは「聖霊」(4節)と聖書の中で呼ばれています。神さまの聖なる霊、イエス様の霊です。別の聖書の箇所では、聖霊は“神さまの息”だとも言われています。神さまがフーッとご自分の息をお弟子さんたちに吹きかけた。ペトロさんら、お弟子さんたちは、神さまの息のかかった人になったのです。
 この「聖霊に満たされて」、お弟子さんたちは「聖霊が語らせるままに」、色々な国の言葉で神さまのことを話し始めた、賛美し始めたのです。

 でもね、その様子を見た周りの人々は、ギョッとしたんだね。一体何が起こっているのだ?とびっくりしたのです。無理もありません。みんなも、こんな場面を想像してみてください。いつもの教会、いつもの礼拝堂、そして周りにはいつもの友だちや大人の人たち‥‥‥ところが、突然、自分の隣に座っている友だちが英語を話し出した。と思ったら、反対の隣に座っている友だちは韓国語を、前に座っている人はアラビア語を、後ろに座っている人はフランス語を、斜め向こうにいる人は中国語を話し出した。もちろん何を言っているのか分からない。“えっ? えっ? えっ?いったい何が起こったの?”と、わけが分からなくなるだろうね。
 2千年前のペンテコステも、きっとそんな感じだったのでしょう。周りにいた人々は、お弟子さんたちの様子を見て、びっくりし、わけが分からなくなってしまったのです。でも、中にはこんなことを言う人もいました。“あいつらは酒に酔って、酔っ払っているのだ。それで、わけの分らないことを口走っているだけだ”。
 けれども、それを聞いたペトロさんが言いました。“今は朝ですから、私たちは酒に酔っているのではありません。そうではなく、聖霊に満たされているのです”。 そう言って、ペトロさんは、旧約聖書の預言者ヨエルの言葉を引いて話し始めました。“預言者の言葉にも、「終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ」(17節)と語られています。今、その聖霊が注がれているのです”。こう話した後、ペトロさんはイエスさまの救いを説教します。そして、このペトロさんの言葉を聞いて、今までの自分を悔い改めて、“イエスさまをわたしの救い主と信じます”と告白して洗礼を受けた人が、この日だけで3千人もいたと言います。きっと、この3千人の人々の心にも、聖霊が働いたのでしょう。世界で最初の教会、エルサレム教会の誕生です。だから、ペンテコステは何の日?と聞かれたら、“教会の誕生日”と言うこともできます。

 さて、今日読んだ聖書の御言葉で、私の心にいちばん印象に残ったのは、21節です。「主の名を呼び求める者は皆、救われる」(21節)。
これは、私たち一人一人に対する神さまの約束です。“私のことを呼び求める者は皆、救ってあげよう”という神さまの約束です。神さまの約束なのだから、世界一、固い約束です。でも、こちらも本気でなかったら、だめでしょう。どうせ無理だと神さまを疑ったり、中途半端な気持で心から一生懸命に求めなかったら、神さまだって応えてはくれないでしょう。
 ペトロさんら、お弟子さんたちは、本気で、必死に、神さまを呼び求めたのです。イエスさまを失って、もう頼れる人がいない。心細い。どうしてよいか分からない。泣き叫びたくなる。そんな絶望の気持の中で、“神さま、私たちと一緒にいてください。助けてください。どうしたら良いか、教えてください”と真剣に祈ったのです。皆で心を合わせて祈ったのです。神さまに救いを求めたのです。
 そうしたら、あの不思議な風が吹いた。聖霊が与えられた。勇気と希望が湧いてきた。“神さまが一緒にいてくださるから大丈夫。イエスさまの道に従って、まっすぐに進めばいい”。お弟子さんたちには、それが心の底から分かったのです。
 今日、この礼拝の後で、お祈りの時間を持ちます。ペトロさんたちが祈ったように、私たちも心を合わせて、神さまを呼び求めて祈りたいと思っています。自分の心の中に悪い思いがあるなら、悔い改めましょう。悩み苦しみがあるなら、神さまに聞いてもらいましょう。願いがあるなら求めましょう。自分のために、みんなのために、教会のために祈りを合わせましょう。神さまは必ず答えてくださいます。
 願いどおりにしてくださるかも知れません。あるいは、答えられるのに時間がかかるかも知れません。自分の願いと神さまの答えが違うかも知れません。でも、本気で祈り求めたら、必ず答えが返って来る。聖書の御言葉を通して返って来る。
 救われるとは、どういうことでしょう? お金がもうかること? 勉強のできる学校に行って、高い地位に就くこと? 病気をしないで健康でいられること? 家族がみんな無事で過ごせること?‥‥‥それって、とってもいいですね。でも、神さまに救われるって、ちょっと違う。お金がなくても、地位が低くても、病気でも、家族を失っても、救われることができる。この心に、私の心に、神さまがいつも一緒にいてくれる! それが分ったら、何も怖くない。それが、一番の救いなのです。
“神さま、いつも一緒にいてください”。この救いを本気で求めましょう。





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