2010年7月25日 大人と子どもが共に守る礼拝 (主の祈り2)
  聖  書 ルカ福音書17章20〜21節

  説教者  山岡 創

「 “あなたがた”の間にある神の国 」

 み国が来ますように。〈主の祈り〉において、私たちはそのように祈ります。今日は、この“み国が来ますように”という祈りには、どんな意味があって、どんな祈りなのかをお話しします。

 み国とは何でしょう? どこの国でしょう? それは、神の国、神さまの国です。神さまが王様である国、神の王国です。その王国から、王子であるイエスさまが来てくださいました。
 神の子であるイエスさまが、神さまの言葉を伝える活動を始めた一番最初に、イエスさまはこう言われました。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1章15節)。
 神の国は近づいて来ている。もうすぐそこまで来ている。だから、あなたも神の国に入れてもらえるように、心を入れ替えて神の言葉を信じなさい。そう宣言して、イエスさまは神さまの言葉をお話しし、病人を癒(いや)しながら、ガリラヤ地方の町から村へと回られたのです。
 けれども、イエスさまの教えを信じられない人々もいました。ファリサイ派という、とても熱心に神さまを信じている人々です。ファリサイ派の人々も、“神の国が来ますように”と祈っていました。でも、イエスさまが言うように、神の国が近づいている、もうすぐそこまで来ていることが分からなかったのです。そこで、「神の国はいつ来るのか」(20節)とイエスさまに尋ねました。
 そのころ、イスラエルの人々は、ローマ帝国という大きな国に支配されていました。自分たちの自由にはできず、高い税金をローマに取られ、時には神さまを信じないで、ローマ皇帝を礼拝しろ、などと無理を言われ、苦しめられていました。だから、イスラエルの人々は心の中で、いつの日かローマ帝国を倒して、イスラエル王国をつくるんだ、神さまを信じる人々の国をつくるんだ、と願っていました。そのイスラエル王国が、神の国だとファリサイ派の人々は考えていました。
 だから、イエスさまが、神の国は来た、来た、と言っても、ローマ帝国は倒されていないし、イスラエル王国ができたわけでもない。一体いつ神の国は来るのか、とファリサイ派の人々は疑問を感じたわけです。

 ところが、イエスさまは“もうあるよ”“神の国はもう来ているよ”とお答えになったのです。“えーっ、どこに?”とファリサイ派の人々は思ったでしょうね。“ここにある。あなたがたの間にあるじゃないか”とイエスさまはお答えになりました。聖書の御言葉で言うと、イエスさまは、こうおっしゃっています。
「神の国は見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に神の国はあなたがたの間にあるのだ」(20〜21節)。
 神の国は目には見えないんだって。例えば、私たちは日本の国に住んでいます。ここは日本です、と言える。東京、あそこも日本です、と言える。沖縄、北海道、あそこも日本です、と言える。けれども、神の国は、ここが神の国です、あそこが神の国です、とは言えない。場所で決められない。でも、目には見えないけれど、神の国はあなたがたの間にあるんだよ、とイエスさまは言われました。
 イエスさまが言われた意味は、イエスさまがいるところに神の国がある、ということです。イエスさまが教える神の言葉が信じられ、イエスさまが病人を癒(いや)したり、弱い人を助けてくださるところに神の国がある、ということです。

 でも、イエスさまは、十字架に架けられて殺されてしまった。もういない。だから、もう神の国もない、ということでしょうか?
 そうではありません。十字架に架けられた後、復活したイエスさまが天に昇る時、“もう一度、わたしは来る”と約束してくださいました。そして、イエスさまがもう一度やって来る時、神の国は完成します。イエスさまが最初にやって来てくださった時に、つくり始められた神の国が、その時、完成します。だから、私たちは、今ここにある神の国という“灯(ひ)”を消さないようにしたい。今、イエスさまがここにいなくても、イエスさまの御言葉があれば、イエスさまの“心”があれば、私たちの間にも神の国がある。私たちが、聖書の御言葉に従い、イエスさまの心を持って生きれば、私たちのところに神の国がある。だから、イエスさまがもう一度来る時まで、“み国が来ますように。イエスさまが来ますように”と一緒に祈りながら、イエスさまのように神さまを礼拝し、イエスさまのように御言葉を伝え、イエスさまのように互いに助け合い、愛し合って生きていきたい。それが教会です。

 神の国? ここにあるよ。目には見えないけれど、イエスさまを信じているぼくらの間にあるよ。でも、まだ完成していない。つくっている途中。だから、失敗することもある。壊れることもある。でも、気を取り直して、またつくる。イエスさまがもう一度やって来る時まで、イエスさまならどうするか? イエスさまならどう言うか?って、イエスさまの心を考えながら、みんなでつくり続けていく。
 そういう思いを込めて祈るのが、み国が来ますように、という祈りです。





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