2010年11月28日アドヴェント第1主日大人と子供の礼拝説教
  聖  書  ルカによる福音書1章5〜26節
  説教者  山岡 創

「あなたの喜び」

 今日、教会にやって来て、先週の日曜日とは、また23日の楽しかったバザーとは、ちょっと感じが違うことに気がついたと思います。ところどころに、きれいなクリスマスの飾りつけがされていますね。そう、今日からイエスさまのお誕生日のお祝い(記念日)であるクリスマスを待ち望む〈アドヴェント〉が始まりました。今日は最初の1本目のローソクに火を灯しました。日曜日ごとに火を灯したローソクが1本ずつ増えていって、4本すべてに火が灯る日に、私たちは、イエスさまの誕生を祝うクリスマス礼拝を守ります。2010回目の誕生祝いです。
 ところで、アドヴェントというのは、ラテン語という言葉で、“やって来る” “到着する”という意味があるそうです。だれがやって来るのでしょう?だれが到着するのでしょう? もちろん、イエスさま、主イエス・キリストです。
 けれども、イエスさまは、ただやって来るだけではありません。プレゼントを持って、クリスマス・プレゼントを携えて来てくれます。でも、それはケーキとか、ゲームやぬいぐるみではありません。私たちに最も必要なもの、一番大切なもの、“救い”を届けに来てくださるのです。私たちが“救われた! 嬉しい”と感じるもの、心が温まるもの、ありがたいと感謝するものを、イエスさまは届けてくれます。それは一言で言えば“愛”です。イエスさまはもう目には見えないけれど、私たちの心に届けてくれます。

 けれども、目には見えないイエスさまが私たちの心に届けてくれるプレゼントは、やはり目には見えません。こうして手でつかむこともできません。だから、下手をするとプレゼントが届いているのに気づかず、受け取り損ねてしまうかも知れません。イエスさまが、私たちの心のドアの向こうで、ピンポーンッ、ピンポーンッとブザーを押して、“○○さん、お届け物ですよ!”って叫んでいるのに、気づかないまま終わってしまうかも知れません。
 私も教会の玄関の上にある牧師室で仕事をしていると、牧師館の玄関の方に宅急便屋さんが来てブザーを鳴らしても、気づかないことがあります。後でポストに入っている不在票を見て、“あら、宅急便、来てたんだ”となるわけです。
 イエスさまから届く救いのお届け物に気づいて、ちゃんと受け取るには、どうしたらよいのでしょう? それには、聖書を読むことです。
 この礼拝堂の正面、皆さんの方から見て右手に、今年度の坂戸いずみ教会の標語が掲げられています。〈聖書を読もう〉という目標、そして、ローマの信徒への手紙10章17節の御(み)言葉「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」と記されています。聖書を読んで、その御言葉、イエス・キリストの言葉を聞く。それが、イエスさまからのお届け物を受け取る準備になります。今日の聖書の言葉で言えば、「準備のできた民」(17節)になることです。
 けれども、聖書の言葉、イエスさまの言葉を、ただ聞くだけではだめです。“聞き流す”と言いますけれども、聖書の言葉を聞いても、右の耳から左の耳へと抜けていくのではいけません。その言葉を自分の心にとどめておくことが必要です。そうしたら、聖書の御言葉によって、神さまが自分にどんなことを言おうとしているのか、心の中で考えてみる。そして、聖書の御言葉は、神さまのお考えは、きっとそのとおりになると信じることです。

 さて、今日読んだ聖書の箇所に、ザカリアという人が出て来ました。ザカリアさんは神さまの神殿で祭司のお仕事をしていました。教会の牧師みたいなお仕事です。
 ところで、ザカリアさんには子どもがいませんでした。ほしいと願っても与えられませんでした。そのまま年をとってザカリアさんも妻のエリサベトさんも老人になっていました。もうあきらめていたかも知れません。
 ところが、ザカリアさんが神殿で、神さまのために良い香りのする木を燃やして、その香りを神さまにお届けする仕事をしていた時、突然、天使が現れました。ザカリアさんは最初、怖くて震えていたんだ。天使は、「恐れることはない」(13節)と言って、ザカリアさんに、赤ちゃんが生まれることを告げました。しかも、その子は、大きくなったら神さまのお仕事をする。神さまに背中を向けて、そっぽを向いていた人々の心を、神さまの方に向くようにして、神さまからの救いのお届け物を受け取る準備を人々にさせる。そういう人になる、と天使は告げました。
 ところが、ザカリアさんは、その天使の言葉を信じられません。確かに、ザカリアさんもエリサベトさんも年をとって、おじいさん、おばあさんになっていましたから、赤ちゃんが生まれると言われても、信じられないのも無理もありません。私たちだって、ザカリアさんと同じ立場に置かれたら、たぶん信じられなかったかも知れない。
 そこで、ザカリヤさんは、神さまがちょっと喜ばないことを言い出しました。“私たちに赤ちゃんが生まれるなんて信じられません。もし本当なら、赤ちゃんが生まれる確かな証拠をください”。神さまの言葉を疑っているんだね。
 そうしたら、ザカリアさんは口がきけなくなってしまいました。赤ちゃんが生まれるまでね。天使はザカリアさんに言いました。
 「時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」(20節)。
 この時、ザカリアさんはまだ、神さまからの救いのお届け物を喜んで受け取る準備ができていなかったのです。

 時が来れば実現する神さまの言葉を信じる。それが、神さまからの救いのお届け物を受け取る準備になります。
 でも、私たちは神さまの言葉よりも、別のものを信じてしまうことが少なからずあります。“こっちの方が確かだ”と目に見えるものを信じてしまうのです。それは、ザカリアさんのように、自分の年かも知れません。それから、自分の力だったり、お金だったり、自分の成績や地位だったり、健康だったり、人間だったりします。
 そういうものは一見、確かなもののように見えるけれど、聖書はね、そういうものはやがて朽(く)ちて、しぼんで、なくなってしまうんだよ、と教えています。それに対して、神さまの言葉はどうか。
 「しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」(ペトロの手紙1章25節)。
 神さまの言葉をしっかりと聞いて、イエスさまの救いのお届け物を、クリスマスに受け取ることができるように、心の準備をしていきましょう。




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