2011年6月26日 大人と子供の礼拝説教   
  聖  書  ルカによる福音書3章21〜22節 
  説教者  山岡 創

「わたしの愛する子」

 今年度が始まってから、4人の方々が洗礼をお受けになりました。4月のイースター礼拝では、KさんとYちゃんが、そして先日のペンテコステ礼拝ではHさんとTさんが洗礼をお受けになりました。
 もしかしたら、洗礼を受ける人が今まででいちばん多い一年になるかも知れません。今度のクリスマスには、だれが洗礼をお受けになるか、神さまがだれに声をかけ、招いてくださるか、祈りながら楽しみにしています。
 もしかしたら、神さまが声をかけてくださるのは“だれか”じゃなくて、子どもチャペルの“君”かも知れません。お家で、目を閉じて、お祈りをして、神さまの声が心に聞こえるか、よく聴いてみてください。

 教会で行われる洗礼式は、イエスさまの洗礼から始まったと言ってよいでしょう。
罪を悔(く)い改めなさい。選ばれたユダヤ人だから、アブラハムの子孫だから、神さまに救われると思い上がってはいけません。神さまに心を向けなさい。神さまの御(み)心に適(かな)うように生活しなさい。そう言って、悔い改めの洗礼を宣(の)べ伝えた洗礼者ヨハネさんのもとにイエスさまも行って、ヨルダン川で洗礼をお受けになりました。
イエスさまも、ご自分は神の子だから洗礼なんて受ける必要はない、と思い上がってはいませんでした。きっと、いつも神さまの方に心を向けて、神さまの御心に適うように生きたいと願って、洗礼をお受けになったのでしょう。
 ところで、イエスさまが洗礼を受けて祈っておられると、「聖霊(せいれい)が鳩(はと)のように目に見える姿でイエスの上に降(くだ)って来た」(22節)と、今日読んだ聖書箇所に書かれていました。
 「聖霊」って、見たことある?‥‥‥ないよね。私も見たことはありません。人の上に降って来るのも、自分の上に降って来るのも見たことありません。
 では、聖霊を見たことがないから、私にも、みんなにも降っていない、働いていないのでしょうか?そんなことはないと思います。聖霊は私たちの目には見えないけれど、きっと私にも、皆さんにも降り、働いています。
 けれども、今日の聖書箇所には、聖霊が鳩のような姿でイエスさまに降って来るのが見えた、と言います。きっとイエスさまに降った聖霊は、特に強い力を持った聖霊だったか、それともイエスさまだから、聖霊が見えたのかも知れません。
 聖霊はなかなか、私たちの目には見えません。でも、聖霊が降ると変わることがあります。それは、今まで分らなかったことが分かるようになる、信じられるようになるということです。そういうのを、ちょっと難しい言葉で“悟(さと)り”って言うんだよね。
 では、何が分かるようになるのでしょう。何が信じられるようになるのでしょう。それはね、神さまの“愛”です。自分が神さまに愛されている、ってことです。
「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(22節)
 イエスさまが洗礼をお受けになったとき、この声が天から聞こえた、と22節に書かれています。父なる神さまがイエスさまにかけた声です。イエスさまの心に届いた声です。この声を聞いて、イエスさまも、自分は神さまに愛されている子どもだ、神さまのお気に入りだと分かり、確信することができたのだと思います。
 だから、洗礼を受けるということは、自分は神さまに愛されている子ども、“神さまのお気に入り”という動かぬしるしを自分に付けてもらうことです。違う言い方で言えば、“神さま、あなたがわたしを愛してくださっていることに気づきました。ありがとうございます”と感謝する信仰のしるしだと言うこともできます。

 〈きみは愛されるために生まれた〉、この歌を知っていますか?これは、韓国のイ・ミンソプさんという牧師が1997年に作った歌で、韓国中で親しまれているゴスペルソングだそうです。あの韓流スターのペ・ヨンジュンさんも大のお気に入りだそうです。
 日本でも2003年、長崎市内のある教会に家出中高生たちが訪(おとず)れました。寂しさをシンナーで紛(まぎ)らわすような子どもたちでした。そのうちの一人の少年が、教会の牧師に言いました。“なぜ、自分は生まれてきたのか。なぜ、こんなに苦しんで生きなければならないのか”と。そんな中高生たちが、この曲を耳にしたとき、彼らのほほを涙がつたいました。やがて、この歌に感動した子どもたちから先生へ、先生から他の先生へと伝えられ、この歌は長崎の町に広まっているのだそうです。


 きみは愛されるため生まれた  きみの生涯は愛で満ちている
きみは愛されるため生まれた  きみの生涯は愛で満ちている
永遠の神の愛は  われらの出会いの中で実を結ぶ
きみの存在が  わたしにはどれほど大きな喜びでしょう
きみは愛されるため生まれた  今もその愛受けている
きみは愛されるため生まれた  今もその愛受けている

 この歌のように、私も、自分が神さまに愛されていると気づいた時がありました。20歳のころ、自分はだめ人間で、生きている意味がないと悩み、苦しんでいた時のことです。そんなある夜のこと、“あなたはわたしの愛する子どもだ。あなたは生きていて良いのだ”という神さまの声が、私の心に、まるで雷のように響いたのです。あの時、目には見えなかったけれど、私のもとにはきっと聖霊が降っていました。その時から、私の肩にズシリと乗っていたかのような重荷が外(はず)れ、うそのように軽やかに生きられるようになりました。
 洗礼は、自分は神さまに愛されている子ども、“神さまのお気に入り”だというしるしです。その声が心に届いたら、いつでも洗礼を受けてください。また、既(すで)にその声を聞いて、洗礼を受けている方は、神さまの愛を、毎日確認し続けてください。



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