2011年10月30日 大人と子供の礼拝
  聖  書  ヨブ記42章1〜6節 
  説教者  山岡 創

「この目で神を見たなら」
     

 みんなは、ヨブさんを知っていますか? たぶん知らなかった人もたくさんいると思います。今日、初めてヨブ記を読んだという人も少なくないでしょう。
 ヨブは、どこの国か分かりませんが「東の国の一番の富豪」(1章3節)でした。一番のお金持ちということです。「羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき(千頭)、女(めす)ろば五百頭」(3節)も持っていて、使用人もたくさんいました。家族にも恵まれ、7人の息子と3人の娘がいました(2節)。
ヨブは神さまを深く信じる人でもありました。罪のない正しい人で、神さまのことを敬(うやま)い従い、悪いことをしないで生きている人でした(1章1節)。
ところが、そのヨブが、大きな、とても大きな苦しみを味わうことになるのです。

 始まりは、天の上での会議でした。神さまが議長です。そして、天使たちが集まって、報告をしたり、話し合ったりするのです。天の上の“学級委員会”のようなものかな。
天使たちにも、色々な係・担当があるようです。その中には、“地上パトロール係”なんていうのもあります。この地上パトロール係のことを、何て言うと思う?‥‥‥サタンって言うんです。えっ!と思うかも知れませんね。サタンと言えば、みんな、悪魔のことだと思うでしょう。でも、初めから悪魔だったわけではありません。最初は、地上をパトロールする天使だったのです。神さまは、会議に出席したサタンに言いました。
 神:  サタンよ、お前はどこから来たんだ?
 サタン:地上をパトロールして来ました。色んなところを歩きまわって来ました。
 神:  お前はヨブを見たか? 地上に、彼ほど正しく、信仰の深い人間はいないと思わないか?
 サタン:神さま、ヨブが何の得もないのに、あなたのことを敬うと思いますか? (甘いなあ)そんなわけないでしょう。あなたがヨブを祝福して、家族も財産も豊かに恵んでいるから、彼はあなたのことを信じて敬っているんですよ。
 神:  そんなことはない。ヨブは何がなくても私を信じる人間だ!
 サタン:では、ヨブから祝福を奪ってごらんなさい。きっとあなたに文句を言い、呪うに違いありません。
 神:  よろしい。そこまで言うなら、やってみよ。
 こうしてサタンは、ヨブから神さまの祝福を奪い取ります。天から火を降らせて財産の家畜を焼き殺したり、強盗団に奪わせたりしました。竜巻を起こして、ヨブの息子娘たちはみな、死んでしまいました。そして、ヨブ自身も健康を奪われ、ひどい皮膚病にされてしまいました。それでも、ヨブは最初、神さまに文句を言ったり、呪ったりはしませんでした。

 しばらくして、3人の親友がお見舞いに訪ねて来ました。でも、ヨブの苦しんでいる姿を見ると、とても話しかけることができませんでした。
 7日が過ぎました。やがてヨブは苦しみに耐えきれなくなって、3人の友人に言いました。
 ヨブ:私なんか生まれなければよかった。なぜ神さまは、私のことを、こんなにひどい苦しみに遭わせるのだろうか?
 友人:それは、きっと君が何か罪を犯したからだ。神さまは、正しい人を祝福し、罪を犯した人に罰を与えるのだから。君は罰として苦しんでいるのだ。
 ヨブ:いや、それはおかしい。私は罪など犯していない。
 友人:よく考えてみなさい。君は、自分でも知らないところで、何か罪を犯したのかも知れないよ。
 ヨブ:いや、そんなはずはない。私は神さまに従い、罪を犯さず、悪いことをしないで生きて来た。私に罪があるとは納得できない。もし私に罪があると言うのなら、それは神さまの方が間違っている!
 遂に、ヨブと友人たちの会話は、激しい議論になってしまいました。ヨブは友人たちの答えに納得することができません。議論はどこまで行っても平行線、延々と続き、業(ごう)を煮やしたヨブは直接、神さまに訴え、主張します。
    私は罪など犯していない。あなたが間違っている! なぜ私をこのように苦しめるのか?

 延々と主張し、訴えるヨブに、遂に神さまが現れます。そして、嵐の中からヨブにお答えになりました。
 けれども、その答えは、答えになっていません。ヨブが“なぜ苦しみに遭うのか?”と問いかけたのに対して、“それは‥‥‥だからだ”と、その理由を神さまは答えていないのです。
 その代わりに、神さまは、ご自分が世界を造られた天地創造のお仕事と、太陽や雷、風などの自然現象について、また動物たちのことをヨブに語りました。そして、逆にヨブに問いかけます。
  お前は、私が造った世界の秘密を知っているか? 意味を知っているか? 力を知っているか? 何も知らずに私が間違っているというつもりか!
 神さまの答えは、ヨブの質問に対する答えにはなっていません。なぜヨブが苦しまなければならないのか、やっぱりヨブには分からないのです。ところが、不思議なことに、ヨブは“分かりました”と納得してしまうのです。それが、今日読んだ42章1〜6節です。
「わたしには理解できず、わたしの知識を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました」(3節)。
「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、あたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」(5〜6節)。
 ヨブが分かったこととは、何だったのでしょう。なぜ自分が苦しまなければならないのか?その理由が分かり、納得できたわけではありません。そうではなくて、神さまが自分と一緒にいてくださることが分かったのです。
 神さまは、ヨブの文句や訴えを無視しませんでした。人に無視されると嫌な気持になるでしょう? 神さまは、ヨブのことを“こいつ、うざい”と無視しなかったのです。ヨブの前に現われて、言葉をかけてくれました。ヨブには、それがとても、とても嬉しかったのだと思います。もし無視されていたら、ヨブは“私は神さまから見捨てられた、もう終わりだ”と絶望してしまったかも知れません。けれども、神さまがヨブに答えてくださったから、ヨブは、“神さまが私のことを忘れずに、心にかけていてくださる。目には見えないけれど、苦しむ私と一緒にいてくれる”と信じることができたのだと思います。そして、それはヨブが諦(あきら)めずに神さまに求め続けたからこそ、起こったことです。

 ヨブさんだけではなく、私たちの人生にも、苦しいことや悲しいことが起こります。なぜ苦しいことや悲しいことが起こるのか、わけの分らない時もあります。それでも、神さまが“私”のことを見捨てず、心にかけてくださっている。イエスさまが一緒にいて、愛してくださることを信じて生活しましょう。信じれば、心に勇気と希望の力が生まれます。




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