2012年1月1日 
  聖  書  イザヤ書35章1〜10節
  説教者  山岡 創

「花を咲かせよう」
     

 皆さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
新しい年、2012年を迎えました。日本人は、年が明けると、おめでとうと挨拶(あいさつ)する習慣があります。新年を迎えることができた、という喜びです。
私たち、主イエス・キリストとその父なる神を信じる者は、この挨拶に信仰をプラスしたいと思います。過ぎて行った年も神さまの導きによって守られ、支えられた。そして、新しい命を与えられ、生かされて新年を迎えることができた。この年も、神さまの御(み)心と愛にゆだねて平安であることができますように。そんな感謝と祈りを込めて、私たちは、おめでとうと挨拶を交わしたいと思うのです。
そして、お互いに“花を咲かせる”一年であるようにと祈り合いたいと願います。

 「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ、大いに喜んで、声を上げよ」(1〜2節)。
 新年の初めにいただいた聖書の御(み)言葉に、このように記されていました。「花を咲かせよ」と、神さまは3回繰り返して命じています。
 30日の午後3時から夜にかけて、12月の中学高校生会を開きました。青年のお兄さんお姉さんも2名、また小学生も3名、5時半まで加わって15名ほどで、教会の掃除をし、鍋をつつきました。そして、何をしたかと言うと、聖書の学び‥‥ではなく、後ろのロビーでカラオケ大会をしました。今やカラオケ・ボックスに行かなくても、自宅でカラオケが楽しむことができます。Wiiというゲーム機に、ジョイ・サウンドというソフトを入れて、インターネットにつなぐと、古いものから最新の歌まで何でも歌えます。それをプロジェクターにつないで、白いシーツを貼ったスクリーンに映し出して、みんなでカラオケを楽しみました。今度、年配の皆さんと昔懐かしの懐メロで盛り上がってもいいなあ、と思います。
 その中で、みんなでスマップの〈世界に一つだけの花〉を熱唱しました。あれは良い歌詞ですね。
  そうさ 僕らも  
  世界に一つだけの花  一人ひとり違う種を持つ
  その花を咲かせることだけに  一生懸命になればいい
  小さい花や大きな花  一つとして同じものはないから
  ナンバー・ワンにならなくてもいい もともと特別なオンリー・ワン
 この歌詞の内容、とても聖書的、キリスト教的です。私が以前に非常勤講師をしておりました聖学院の男子中学高等部、その校長を務めておられた林田先生が、“ナンバー・ワンではなく、オンリー・ワンを育てる教育”を、学校のモットーに掲げておられたことを思い出します。
 神さまが、一人ひとりを、掛け替えのない特別なオンリー・ワンとして造ってくださった。だから、ナンバー・ワンにならなくていい。人と競争し、比べて、優越感に浸ったり、劣等感に落ち込まなくていい。人は人、自分は自分、自分を大切に、自分らしく生きて、自分だけの花を咲かせればいい。神さまが与えてくださっている自分の値打ちを信じて生きていい。それは絶えず、聖書から、主イエスから、私たちが語りかけられていることです。
 だから、たとえ私たちが人と比べて一番どん底に落ちたと感じるとしても、その人を見ている目を、神さまの方に向け変えることが大事です。神さまはこう言われます。
「弱った手に力を込め、よろめく膝(ひざ)を強くせよ。心おののく人々に言え、『雄々しくあれ、恐れるな。‥‥神は来て、あなたたちを救われる』」(3〜4節)。
 だから、人と比べて“ましだ”とか“だめだ”とか言うのではなく、心の目で神さまを一点に見つめること。雄々しく、恐れずに歩むこと。それが、花を咲かせる、ということです。心に、揺るがない「大路(おおじ)」「聖なる道」(8節)が敷かれるということです。
 預言者イザヤの時代のイスラエルの人々も苦しんでいました。バビロニアに国を滅ぼされ、捕らえられ、行きたくないところに連れて行かれ、奴隷のような生活をさせられ、あたかも花の咲かない荒れ野のような、砂漠のような人生を歩まされていました。バビロニアの人々を見て、うらやましく思ったかも知れません。
 けれども、イザヤは、神さまを見つめなさい、と言いました。雄々しくあれ、恐れるなと語りました。神さまが救ってくださる時が来る。だから、希望を失わずに、今を生きなさいと励ましたのです。

 私は、もう一つの歌(詩)を思い起こします。
  神が置いてくださったところで咲きなさい。
仕方がないとあきらめてではなく、「咲く」のです。
  「咲く」ということは、自分がしあわせに生き、他人もしあわせにすることです
  「咲く」ということは、周囲の人々に、あなたの笑顔が、
  私はしあわせなのだということを、示して生きることです。
  神が、ここに置いてくださった。
  それはすばらしいことであり、ありがたいことだと、
  あなたのすべてが語っていることなのです。
  置かれているところで精一杯咲くと、それがいつしか花を美しくするのです。
  神が置いてくださったところで咲きなさい。
 確かラインホールド・ニーバーという人の詩を、渡辺和子さんというシスターが訳したものです。
 私の信仰はまだまだ、この詩の内容には程遠いなあと感じます。それに、苦しいところ、悲しいところで、このように生きるのは、なかなかに難しいことです。
 でも、良いことも良くないことも込みで、この一年も、神さまが置いてくださったところで精一杯、花を咲かせる。その心で歩んで行きましょう。



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