2012年年5月13日 礼拝説教
  聖  書  ルカによる福音書7章36〜50節
  説教者  山岡 創

「多く赦された者は、多く愛する」
                        
 食事を共にする。それは、親しい交わりであり、親愛のしるしです。重度の知的障がいを持った子どもたちの施設である止揚学園の、ある女の子が、“平和ってな、みんなで一緒にごはん食べることやもん”と言ったそうですが(『福音のタネ、笑いのネタ』104頁、山北宣久著)、まさにそのとおりと思います。ごはんが一緒に食べられるのは、平和だからです。そして、ご飯を一緒に食べることで、相手との関係はより深く、親密になっていきます。“同じ釜の飯を食べる”という言葉は、そのように共同の時間を通して、交わりが深まっていくことを表しています。
 イエスさまも、しばしば人と食事を共にされました。教会で、よく食事や愛餐会がなされるのは、そのようなイエスさまにならっての親しい交わりのしるしであると共に、互いに愛し合う交わりを深めたいという願いの現れだと思います。

 「あるファリサイ派の人」(36節)がいました。後で名前が分かりますが、「シモン」(40節)という人です。この人が、自宅に、主イエスを食事に招待しました。当時のユダヤでは珍しい光景ではありません。
 けれども、シモンがなぜ、主イエスを食事に招いたのか、不思議な気がします。普通に考えれば、今、世間で評判の主イエスのお話を親しく聞きたいという理由でしょう。
 けれども、主イエスはしばしば徴税人(ちょうぜいにん)や罪人(つみびと)と食事を共にしたり、安息日(あんそくび)の律法を破って人の病を癒(いや)したりしたので、そういう行動は常にファリサイ派の人々の非難の的になっていました。
ファリサイ派というのは、神の掟である律法を厳格に、熱心に守るユダヤ教の宗派です。熱心に守ることで、自分たちを守れない人々から分離して生活しました。ファリサイとは“分離する”という意味です。だから、彼らは、律法を守れない徴税人や罪人、遊女らを軽蔑して、絶対に食事など共にしませんでした。ところが、主イエスはそういう徴税人や罪人たちとしばしば食事を共にしたわけですから、ファリサイ派の人々は、「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」(5章30節)と非難し、「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」(7章34節)とののしりました。そのような主イエスの律法違反の粗(あら)を探し、安息日を破る姿に怒り狂って何とかしようと話し合ったこともあったのです(6章11節)。
そんなファリサイ派の一人であるシモンが、なぜ主イエスを食事の席に招いたのでしょうか。シモンは他のファリサイ派とは違う考えを持っていて、素直(すなお)に主イエスの教えを聞きたいと思ったのでしょうか。確かに、ファリサイ派の中にはそういう人もいたようです。それとも、間近で主イエスを観察し、粗を探そうという意図だったのではないでしょうか。
 案の定、と言ってはなんですが、シモンは主イエスを非難しました。
「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」(39節)。
 これで、預言者面して活動している化けの皮がはがれた。やはり偽物だ、とシモンは思ったのかも知れません。

 それは、「一人の罪深い女」(37節)がシモンの家に入って来た時のことでした。当時のユダヤでは、客が招待されている席に他の人が入って来るのは、ごく当たり前のことでした。けれども、入って来たのはシモンの忌(い)み嫌う罪深い女でした。おそらく遊女(娼婦)だったのではないか、と思われます。もしかしたら、この後の8章1節以下に出てくる、主イエスに従って旅をし、奉仕した女性たちの一人、マグダラのマリアあたりだったかも知れません。
 シモンは、この罪深い女をすぐに追い出すこともできたでしょうが、この女に対して、主イエスがどのような態度を取るか、見てやろうという気になったのかも知れません。
 罪深い女は、「香油の入った石膏(せっこう)の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」(37〜38節)と言います。傍(そば)から見れば、一種異様な光景だったろうと思います。けれども、この女性には、そうせずにはいられない、あふれる思いがあったのだと思います。この町で、すべての人々から軽蔑され、疎外され、だれにも認めてもらえず、優しくしてもらえない。もちろん、自分が罪深い生き方をしていることも分かっている。それでも、だれかに愛されたい。愛なしには生きていけない。あとはもうイエスさまにすがる以外にない。イエスさま、こんな私をお赦しください。もしイエスさまに愛を感じることができなかったら、慰(なぐさ)めと希望をいただくことができなかったら、自分はもはや生きていけません。それぐらい思い詰めた気持だったかも知れません。彼女の行動と涙は、“イエスさま、私を助けてください。こんな私を救ってください”という、彼女のすべてをかけた願いの現れに他なりません。

 けれども、そんな彼女の気持を察しもせずに、シモンは、彼女の表面的な生活のみを責め、その女をとがめない主イエスを心の中で非難したのです。
 そういうシモンの心に気付かれたのでしょう。主イエスが一つのたとえをもって、シモンに問われました。金貸しに借りた借金を、500デナリオン帳消しにしてもらった人と50デナリオン帳消しにしてもらった人とでは、「どちらが多くその金貸しを愛するだろうか」(42節)。シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」(43節)と答えました。当時、一日労働して得られる賃金が1デナリオンでした。その答えを「そのとおりだ」(43節)と受けて、主イエスは、罪深い女とシモンの態度とを比較してみせました。
 主イエスに対するシモンの態度、もてなしは、決して間違ってはいないのです。失礼でもないのです。当時の一般的なもてなし、正しい態度だったろうと思われます。けれども、シモンには愛がなかったのです。正しいのだけれど、愛がない。冷たく人を裁く。それは、主イエスがいちばん嫌う態度、行動です。
 女は罪深いけれど、愛がある。愛にあふれている。主イエスは、そのように罪深い女の行動を見てくださいました。それは、神さまに多く愛されたからだ。多く愛され、多く赦されたからこそ、この人は愛にあふれている。神の愛にあふれている。そのように罪深い女性を見てくださいました。生かしてくださいました。
 本当にそのとおりだと思います。自分は正しい人間だ、自分の力で生きている。シモンのようにそう思っていたら、人は決して愛にあふれることはありません。
「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」(47節)。
 この場面とこの御(み)言葉を味わいながら、つくづく思います。愛するってことは無条件だなあ、無条件でなければいけないなあ、と。
 人は皆、愛されたいのです。どんな罪を抱(かか)え、どんな欠点や失敗を抱え、自分には愛される資格がないと思っていても、自分は愛されなくたってだいじょうぶと強がっていても、やっぱり愛されたいのです。愛されなければ、人は生きてはいけないのです。
 でも、まず罪を正せ。まず欠点を直し、失敗を回復しろ、と言われると辛(つら)いのです。分かってはいるけれど、それが正しい順序なのかも知れないけれど、やっぱり辛いのです。そう言われると、立つ瀬がないのです。
 私たちもまた罪深い人間ではないでしょうか。そして、それをなかなか直せない、弱い人間ではないでしょうか。けれども、そんな人間をそのまま、無条件に愛するのが本当の愛です。神の愛です。神の香りがする、神を感じる愛です。
 罪深い者が、そういう本当の愛で愛される。そのとき、本当に救われるのです。そして、自分の罪と痛みを包まれた人は、他人の罪と痛みを包める人にきっとなれる。愛にあふれる人になれるのです。神さまがそうしてくださいます。
 私たちは、そういう愛で愛されたいし、また、そういう愛で人を愛したいのです。それが主イエスの喜ばれることです。信仰の世界、信仰による交わりです。
「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(50節)。
信仰と愛は人を救うのです。

 先ほど、止揚学園のある女の子の言葉を紹介しました。今日の御言葉を黙想しながら、その子の言葉を思い起こした関係で、止揚学園のことをインターネットで調べた際に、とても感動するエピソードに出会いました。それは、止揚学園がつくられたいわれです。
 琵琶湖のそばに止揚学園が設立された1962年当時、障がい児といっても多くの人は関心を示さず、国の取り組みも貧困だったと言います。そんな時代に、止揚学園の設立者となった福井達雨さんは4人の知能に重い障がいを持った子どもたちと出会いました。

その中の1人は牛を飼わなくなった小屋の土間に掘った穴の中に入れられていました。 
「何て、ひどいことをしているんや」たまらなくなって怒鳴りつける福井さんに、母親は、涙を流しながら訴えました。
 「怒りを感じられるのは当然と思います。でも、この子を外に出すと、皆がからかったり、石を投げたりします。車の前に走っていっても、誰も止めてくれません。この穴の中に入れている時だけがこの子の生命を守れるのです」。
それを聞き、“この子を穴の中に入れざるをえないように母親を追いつめたのは、心の冷たい日本人なんや。その日本人の中に私もいた。私もこの子どもを穴の中に入れた1人なんや”と、福井はドキンとしました。そして母親に必死になって謝りました。

 こうして、差別をしてきた者が、差別された人たちに謝ろうと止揚学園が生まれました。優越感と自己満足ではなく、「差別をした私たちが謝りつつ、障害をもった人たちと歩む」という考えで、また、子どもたちを1人の人間として存在を認めるだけでなく、社会の中で、全ての人間の輪の中で、共に生きる世界が生まれることが大切だとの考えで、止揚学園は生まれたということです。
(止揚学園公式ホームページ〈ゆっくり歩こうなあ止揚学園〉より)
 私は、福井達雨さんがファリサイ派の人シモンの姿に、涙ながらに訴えた母親が罪深い女に重なるような気がしました。子どもを穴に入れるという表面的な行動だけを見て、最初は非難した福井さん。けれども、その母親の心の叫びと痛みを知り、自分もそのようにさせている社会の、人間の一人だと悔い改めた福井さん。そして、障がいを持った人に謝罪しながら、共に歩んだ福井達雨さん。
 私は、ファリサイ派の人シモンが、イエスさまの御言葉を聞いて、こんなふうに変えられたらいいなあ、と思うのです。そして、私自身も、私たち一人ひとりも、イエスさまの愛と御言葉によって、こんなふうに生きられたらいいなあ、と思うのです。自分が置かれた場所で、自分が託された家族や人との関係において、神さまの愛を感じながら、相手を愛して生きられたらいいなあ、と思うのです。



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