2012年8月19日 大人と子どもが共に守る礼拝
  聖  書 マルコによる福音書10章17〜22節
 説教者  山岡 創

「天国銀行に預金する」

  みんな(子どもたち)は、銀行口座って、持っていますか? 口座っていうのはね、銀行にある自分の“財布”のようなものです。お金がたくさん貯まって来て、こんなにあってもすぐには使わないって時に、自分の財布にそんなたくさん持っていてもしょうがないので、銀行にある大きな自分の財布に入れて貯めておくのです。私も、埼玉りそな銀行とゆうちょ銀行に口座を持っています。
 みんなは、お年玉とかお小遣いをもらったときは、どうしますか? 全部使いますか?それとも、とっておきますか?
 私は子どものころ、お年玉をもらうと、あまり使わないでとっておきました。さっきお話した銀行の口座に預けて貯めておきました。そして、私は中学・高校とサッカー部だったので、サッカーのスパイクとかユニフォームとか、貯めておいた自分のお金を銀行からおろして買いました。大学生になるとアルバイトをするようになって、お金を稼ぐようになったけど、使うお金も増えたので、銀行の口座には、そんなにお金が貯まりませんでした。
 でもね、口座にお金が12万円ぐらいあって、ある時、そのお金を全部使って、あるものを買いました。ぼくの財産ゼロになりました。何を買ったか?‥‥‥それは秘密です。

 イエスさまもね、銀行に預金してお金を貯めなさい、と言いました。でもね、イエスさまが言っているのは、普通の銀行ではないんです。埼玉りそな銀行やゆうちょ銀行ではなく、目に見えない銀行、“天国銀行”です。天国にある銀行にお金を預けて貯めなさい、と言うのです。
でも、天国銀行は普通の銀行とは違う。どうやってお金を入れたらいいのでしょう。イエスさまは言われました。
「行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施(ほどこ)しなさい。そうすれば天に富を積むことになる」(21節)。
 自分のお金や持っている物を貧しい人々に与えなさい。そうすれば、人に与えた分、天国の銀行にお金が貯まって行くよ、とイエスさまは教えてくださいました。私たちの周りにも、貧しい人々は少なからずいます。東日本大震災で被害を受けて困っている人々、アフリカで食べ物がなく、飢えに苦しんでいる人々、他にもたくさんいます。私たちは、自分のお金を自分のためにだけ使って、そういう人々に与えること、分かち合うことを忘れてはなりません。自分のためにばかり使っていると、天国銀行にはお金が貯まりません。そうすると、いつか天国に行ったとき、使えるお金がない、ということになってしまいますよ。

 けれども、イエスさまからこう言われて、そうすることができず、悲しみながら去って行った男の人がいました。この人は、子どもの頃から十戒(神さまの掟)を守って来ました。財産もたくさん持っていました。あと、持っていないものは「永遠の命」(17節)だけです。でも、どうしたら永遠の命をゲットできるのか分かりません。そこで、イエスさまのところにやって来て、「何をすればよいでしょうか」(17節)と尋ねました。そのとき、「持っている物を売り払い、貧しい人々に施(ほどこ)しなさい」と言われて、悲しみながら去って行ったのです。
 この人はお金持ちでした。そのお金の一部を施しなさい、と言われたのなら、彼は、それをしたかも知れません。けれども、イエスさまが言われたのは、財産の“すべて”を売り払い、施しなさいという意味でした。すべてを売り払い、与えることはできない、と思い、この人は悲しみながら去って行ったのです。
 ところで、みんながこの男の人だったら、どうしますか? 子どものときは、私が12万円の貯金を全部使ったように、自分の貯金を全部使って与えてもだいじょうぶと思うかも知れません。お父さんやお母さんがいるからです。でも、自分が大人になって、働いて生活するようになったらどうでしょう? 食べ物を買うお金が要ります。家を借りたり、買ったりするお金が要ります。電気や水道にもお金がかかります。服を買うお金、病院で治療してもらうお金、子どもができれば学校や塾にかかるお金が要ります。自分の持っているお金や物をすべて与えたら、自分と自分の家族が生活していくことができません。無理です。

 では、イエスさまは、だれにもできない無理を言われたのでしょうか?
 私は、イエスさまはあの金持ちの男の人を、そして私たちを試したのではないかと思います。つまり“テスト”です。どういうテストかと言えば、お金を一番に頼るか、それとも神さまを一番に頼るかをテストされたのです。
 お金があれば、ついついお金を当てにします。金持ちであれば尚更です。遂には、人生でいちばん大切なのはお金だ、ということになってしまうかも知れません。それは、お金はあっても心の貧しい生き方です。
 でも、お金や物をすべて施して何も持っていなければ、もうお金を当てにすることはできません。あとは神さまを頼りにするしかありません。イエスさまは、あの男の人に、「あなたに欠けているものが一つある」(21節)と言われましたが、あの人に欠けていたものは、神さまを頼りにする“信仰”だったのだと思います。その信仰を取り戻させるために、イエスさまは敢えて「行って持っている物を売り払え」と言われたのだと思います。

 私たちも、神さまではなく、お金や物に一番に頼る生き方になることがあります。私たちの心の中にも、そういう誘惑が絶えず湧(わ)き起こります。誘惑という名の“悪魔”は私たちの心の中でささやきます。“その石をパンに変えてみろ。お金がいちばん、物がいちばん大切だぞ”と。
 そのとき、イエスさまの教えを思い出しましょう。
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4章4節)
 人はパンがなければ生きられません。お金がなければ生活できません。けれども、パンだけあっても、お金だけあっても、幸せにはなれません。神さまがいなければ、神さまの言葉に聴いて従うのでなければ、幸せに生きることはできないのです。
「行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に富を積むことになる」。
 神さまの言葉をしっかりと心に受け止めて、神さまを一番の頼りにして生きて行きましょう。そして、周りの人に、ただ単にお金ではなく“愛”を与えて、天国銀行に愛を積み立てて行くようにしたいですね。



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