2012年9月23日 大人と子どもが共に守る礼拝説教
  聖  書  サムエル記上3章1〜10節
  説教者  山岡 創
「御言葉に聞く夜」

  昨日夕方から今朝にかけて、教会で〈サムエル・ナイト〉というプログラムが行われました。簡単に言えば、小学生(5年生以上)から中学高校生、青年も含めた“教会でのお泊まり会”です。
私はこのプログラムを、今年の7月に茨城県の竜ヶ崎教会を研修で訪れた際に知りました。竜ヶ崎教会では、小学生を中心に、土曜日の夜、教会に泊まり、日曜日の朝、礼拝に出席するということを目的に、このプログラムを行っている、ということでした。毎月2回行うということで、それを聞いて私は、“それは、メチャメチャ大変なことだろうな。いや、回数はともかく、教会で土曜日から日曜日にかけて宿泊プログラムを行うこと自体が大変なことだ”と感じていました。けれども、同時に“やれたらいいだろうなあ”とも思いました。子どもたちや青年が、間違いなく成長すると思ったからです。“やらなければもったいない”と思い、“月に1回、大人と子どもが共に守る礼拝の前日なら、翌朝は子ども礼拝もないので、できるかも知れない”と思い、役員会で話し、子どもチャペルの奉仕者会で協議して、実施の運びとなりました。
“お泊まり会”と言っても、単なる“お楽しみ”ではありません。もちろん、ワイワイと楽しい時間は必要です。昨日は坂戸駅近くの銭湯(せんとう)に、みんなでワイワイと行って入ってきました。でも、それだけではこの会の意味がありません。
この会の柱は、奉仕、黙想、交わり、礼拝です。青年と子どもたちは教会奉仕をします。昨日は、教会の掃除をしました。週報等を折りました。今朝はランチの会のカレーを作りました。この後で、ランチの会の給仕をします。そのようにして神さまに仕え、教会に仕え、してもらうばかりではなく、教会の活動が一人ひとりの奉仕によって支えられていることを学びます。
また、一緒に聖書を読んで、神さまの語りかけを考えます。一緒に祈ります。昨日も聖書を読んで、この会の目的をお話し、この会でどんなことをしたいか、どんなことに注意をしたらよいか、といったことを皆で考えました。祈りを合わせました。
そして、最後に礼拝を共にして、神さまと交わり、教会のみんなと交わり、私たちがキリストの体であり、神の家族であり、自分はその一員であることを確認します。
こうして寝食を共にしながら信頼関係を深め、楽しい交わりから心を話せる交わりになっていきたい。
まだまだ始めたばかりで足りないところもあるでしょうが、そういう会の中で、青年が、子どもたちが、“教会大好き”、交わりを深め、成長していってほしいと願います。

 ところで、サムエル・ナイト、訳して“サムエルの夜”という名前は、今日読みましたサムエル記上3章の冒頭部分から名付けられたことは間違いないと思います。イスラエルにエルカナとハンナという夫婦がいました。しかし、ハンナにはなかなか子どもが生まれませんでした。イスラエルでは、子どもが生まれることは神さまの祝福のしるしと考えられていましたので、ハンナはとても苦しみ悩みました。そこで、ハンナは田舎(いなか)から神殿に礼拝に出て来たとき、神さまに、“子どもを与えてください”と祈りました。その時、神さまとこう約束しました。“もし男の子をお授(さず)けくださいますなら、その子の一生を神さまにお献げします”。こうして、神さまがハンナの祈りを聞いてくださり、生まれた子がサムエルでした。そして、サムエルがおっぱいを飲まなくなると、3歳ぐらいでしょうか、ハンナはサムエルを、神殿の祭司エリに預けました。サムエルは、エリのもとで神殿に寝泊まりし、エリのお手伝いをしながら大きくなっていきました。
 そんなサムエルがある夜、神殿の神の箱のそばで眠っていたとき、主である神さまから「サムエルよ」(10節)と呼びかけられます。最初、サムエルはエリに呼ばれたと思い、エリのもとに行きます。ところが、エリは、呼んでいないから寝なさい、と答えます。そんなやり取りが3度繰り返されたとき、エリは、サムエルを呼ばれたのは神さまだということに気づき、今度呼ばれたら、「主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております」(9節)と答えなさい、と教えます。4度目に神さまがサムエルを呼ばれたとき、サムエルは「どうぞお話しください」(10節)と答え、この時からサムエルは、神さまの語りかける言葉を聞くようになります。ですから、サムエル・ナイトというのは本来、“神の言葉を聞く夜”という意味になります。
 7節に「サムエルはまだ主を知らなかった」とあります。全く知らなかったわけではありません。サムエルは祭司エリから、私たちが信じて礼拝しているのは主である神さまだよ、と教えられていたでしょう。ただし、サムエルは今まで神さまの言葉を直接聞いたことがなかったのです。「知らなかった」というのは、そういうことです。
 私たちも、聖書の話を人(牧師とか)から聞いて、“ふーん、そうなんだ”と思っているうちは、「まだ主を知らなかった」ということになるのでしょう。聖書の話を聞いて、聖書を自分で読んで、“神さまが私に、こう語りかけている”と感じるようになったら、主を知ったということになります。そうなってほしいです。

 話は変わりますが、2014年の夏にサッカー男子のワールドカップがブラジルで開催されます。日本チームは先日、イラクに1対0で勝って、ワールドカップ出場が濃厚になりました。
 その日本チームのキャプテンを務めている長谷部誠選手が『心を整える』という本を出しました。その第1章で長谷部選手は、〈意識して心を鎮める時間を作る〉ということを書いています。長谷部選手は、ある時、京セラの創業者・稲盛和夫さんが“一日1回、深呼吸をして、必ず心を鎮める時間を作りなさい”と言われた言葉に出会いました。ハードな練習と試合、忙しいスケジュールをこなす中で悩んでいた長谷部選手は、この時から、一日の最後に必ず30分間、心を鎮(しず)める時間を作るようになった、と言います。ボーッとしていてもいいし、頭に浮かんだことを思い巡らしてもいい。音楽もテレビも消し、ベッドに横になって、呼吸を整えながら全身の力を抜いて行く。大事なのは、ザワザワとした心を少しずつ鎮め、メンテナンスすることだということだと書いていました。
 一日に1回、自分の心を鎮める時間を作る。神さまを信じて生活している私たちにとって、それは、独りになって聖書を読み、祈る時間を作る、ということではないかと思いました。神さまの声を心の耳で聞く。そして、悔い改めと感謝を祈る。心を鎮め、呼吸を整える。私たちクリスチャンにも必要な信仰生活の習慣です。
 あの日の夜、サムエルが神さまの声を聞いたように、そしてその後も神さまの声を聞き続けたように、私たちも、聖書から神さまの語りかけを聞いて、心を整える時間を大切にしていきましょう。



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