2013年5月19日 子ども説教(聖霊降臨祭ペンテコステ)
  聖  書   使徒言行録2章1〜13節
  説教者  山岡 創

「神さまの息を吹きかけられて」

 この教会の2階の半分と3階は牧師館と言って、牧師の家族が生活するおうちになっています。私たち家族は3階で寝ていますが、風の音がけっこうすごいです。北側に道路があって、遮(さえぎ)るもののないせいか、教会にまともに風が当たります。ゴウゴウと音がします。この前の春休みに風の強い日が何日かありました。かなり大きな音がしました。あまりに大きな音で、うるさかったのか怖かったのか、我が家の一人は2階のソファーで寝ていました。
「五旬祭(ごじゅんさい)」(1節)の日、ペンテコステの日に、突然、激しく吹いた風はどんな音だったのでしょうか?
「激しい風が吹いて来るような音」(1節)、それはお弟子さんたちが聖霊(せいれい)を与えられたしるしでした。風というのは、ちょっと難しく言うと、空気の流れのことです。それで思い出したのが、旧約聖書に出て来る“神の息”でした。旧約聖書では、神の息という言葉を“霊”とも訳します。つまり聖霊です。ペンテコステに激しく吹いた風は、神さまが天の上からフーッと息を、お弟子さんたちに吹きかけられたのかも知れません。
 旧約聖書の創世記のはじめに、神さまが天地を造られた物語があります。その話の中で、神さまは土のちりで人の形をつくり、その鼻に「命の息を吹き入れられた」(2章7節)と書かれています。ふと人工呼吸のシーンを連想しますね。「人はこうして生きる者となった」(7節)と言います。
 聖霊が神さまの息だとすれば、お弟子さんたちは、神さまの息をもう1度吹きいれられたことになります。最初は、この世の生まれる時に命の息を吹き入れられ、ペンテコステの日にもう1度、聖霊を吹き入れられたのです。そして、聖霊もまた神さまの命の息だとすれば、お弟子さんたちは“新しい命”を与えられたことになります。新しく生まれ変わったことになります。もちろん、1度死んで、生き返ったわけではありません。今までと違う人に変わったのです。神さまと同じ息をして、神さまと共に生きる人に変えられたのです。今日はこの後で、Nくんの洗礼式を行いまが、洗礼を受けるということは、聖霊をいただいて、神さまと同じ息をして、神さまと共に生きる新しい人へと変えられるということだと言うことができます。
 失敗し、落ち込み、弱っていた弟子たちに、聖霊が、神さまの息が吹きかけられました。その時、お弟子さんたちは、神さまが自分と共にいて支えてくださる愛が分かりました。嬉しくなりました。嬉しくて嬉しくて、その喜びを伝えずにはいられなくなりました。聖霊は「炎のような舌」(3節)だったと書かれていますが、舌が燃えているシーンを想像してみてください。それは、イエスさまに救われ、神さまに愛されている喜びを話さずにはいられない気持、心が燃えて来る嬉しさを表しているのだと思います。
 この嬉しさによって、イエスさまの救いが伝えられました。それを聞いて信じた人々が、洗礼を受けました。洗礼を受けた人たちが使徒たちと一緒に集まって、教会となりました。だから、ペンテコステは“教会の誕生日”です。
 今日の礼拝は、言わば教会の誕生祝いです。そして同時に、今日は私たちの坂戸いずみ教会の21回目の誕生日です。みんなで喜び祝って、これからもイエスさまの救い、神さまの恵みを伝えていきましょう。



2013.5/19礼拝説教(聖霊降臨祭ペンテコステ)    使徒言行録2章1〜13節
「聖霊が語らせるままに」

 この会堂に移転してから、外国人のクリスチャンの方がずいぶんおいでになるようになりました。今もT.OさんとE.Vさんが、礼拝やその他の集まりによくおいでになります。
お二人とお話する手段は、英語と日本語です。Tさんは高校で英語の教師(ALT)をしていますから、日本語だけでもほとんど話が通じます。時々、私は自分の練習で、英語で話しかけることもあります。でも、途中で英語と日本語の混じった変な言葉になることもしばしばです。Eさんは日本語がほとんどできません。それで、何とか英語のみで会話します。私は英会話を習ったことがありません。学校で、教科書を読んで訳したり、日本文を英語に直したりするばかりの英語教育でした。だから、会話がうまくできないのです。話す時は、頭の中で英語の文を考えてから話すので、すぐに言葉が出て来ませんし、聞き取る方は特に弱いです。早く話されると分からなくなります。でも、分かっているような顔をして、フム、フムと聞いている時もあります。まあ何とか、最低限のことは通じていまが、英語が話せる人はいいなあ、と思う今日この頃です。
私たちは初めての方となかなか話せない、ましてそれが外国の方であれば、余計にひるみます。でも、話せなくていい。でも、“こんにちは”“さようなら”と笑顔で挨拶(あいさつ)だけはしてほしい。それが、とても大切なコミュニケーションだと思います。
「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(4節)。
 その場に居合わせた人々は、ほんとうに驚いたことでしょう。自分たちの「故郷の言葉」(5節)で、使徒たちが「神の偉大な業(わざ)」(11節)を語っていたからです。使徒たちは皆、ユダヤの片田舎であるガリラヤ地方出身の人々でした。海外で暮らした経験があったわけでなく、学問があったわけでもありません。そういう彼らが、「ほかの国々の言葉」で話し出したわけですから、人々はあっけにとられ、驚き、戸惑うのも無理はありません。なぜこういうことが起こっているのか理解できないのです。そのため、中には新しいぶどう酒に酔っているのだ、とあざける者もいたぐらいです。
 使徒たちが話した言葉の国や地域の名が9節以下に記されています。それは、当時エルサレムに住んでいた人々が知っていた“世界”の全体であったと思われます。それらの国々、地域の言葉で「神の偉大な業」が語られたというのは、キリストの救いが、ユダヤ人から世界中へと伝えられ、広がっていくことを象徴する出来事だと言われています。キリスト教がユダヤ人の民族宗教にとどまらず、すべての人々の救いとなる世界伝道のヴィジョンが示されているのです。
 そして、この出来事にはもう一つ、大切な意味が隠されていると思います。それは、キリストの救いが、めいめいに伝わる言葉、とどく言葉で語られた、ということです。
当時の教会には“異言”という言葉がありました。“天使の言葉”とも言われていました。それは、聖霊に満たされて意識の飛んだような状態になり、何を話しているのか分からない言葉で話し出す現象でした。けれども、パウロという人は、相手が理解できない異言よりも、相手が分かる、通じる言葉でキリストの救いを話すことの方が大事だと言いました。その意味でも、使徒たちは、聖霊に満たされて、相手の故郷の言葉で、その人その人に伝わる言葉で語っていたのです。
 では、その人その人に伝わる言葉、とどく言葉とはいったい何でしょうか?もし、それが外国の人にはその国の言葉で語るという意味で、私たちがそれを求められたなら、とてもできません。けれども、そういうことではないと思うのです。
 4月の終わりの夜の礼拝に、一人のベトナム人の方がおいでになりました。彼は、日本語はもちろん、英語も話せませんでした。始まる時間でしたので、とりあえず夕礼拝に参加してもらって、礼拝の後で、身振り手振りを交えて何とかコミュニケーションを取ろうとしましたが、なかなか通じません。ベトナム人であることと、十字を切るゼスチャーで確かめて、カトリックのクリスチャンであることだけは何とか分かりました。
 そこで思い出したのが、川越のカトリック教会にベトナム人の司祭さんがいたということでした。すぐに電話をすると、上福岡のカトリック教会に移られたと言います。そこで、改めて上福岡に電話をして、事情を話し、そのベトナム人の方とお話していただきました。電話番号を交換して、後はその司祭さんが連絡を取って面倒を見てくださるということになりました。
 私はホッとしました。それは、言葉の通じない相手から解放されたから、という理由ではありません。日本という外国で、言葉も通じず、苦労して生活しながら、教会に救いを求めておいでになった方のために、少しはお役に立てたかな、この方もこれで日本のカトリック教会とつながりができたと思ったからです。言葉は通じませんでした。でも、思いはきっと通じたのではないかと信じます。
 相手に伝わる言葉、とどく言葉とは何でしょうか?それは、単純に言葉そのものではないと思います。何語が話せるかということではないと思います。それは、思いです。相手のことを考え、思いやり、配慮する思いです。その思いこそ聖霊の働きであり、聖霊が私たちに持たせてくださる、伝える力、とどかせる力ではないでしょうか。
 そして、それは同胞の日本人に対しても同じことではないかと思うのです。ただ、日本語という言葉でキリストの救いを語れば、それで伝わるということではない。意味は通じるでしょうが、相手の心にとどかないかも知れません。家族にしろ友人知人にしろ、私たちの語る聖書の言葉がとどくとしたら、それは私たちの内に、相手を考え思いやり、配慮するハートがある時ではないでしょうか。一言で言えば“愛”があるときでしょう。愛の思いは、言語や国を超えて、すべての人間に共通の“心の言葉”です。
 教会誕生の日、ペンテコステを迎えて、私たちも、聖霊を祈り求め、愛という大切な心の言葉をいただきたく願います。そして、その心の言葉で、相手と心の会話をし、信仰の喜び、愛の喜びを伝えていければと思います。






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