2013年9月1日 礼拝説教
  聖  書  ルカによる福音書13章31〜35節
  説教者  山岡 創

「自分の道を進む」

 主イエスには、敵対(てきたい)する者が少なからずいました。その一つは「ファリサイ派」と呼ばれるユダヤ教の一宗派(しゅうは)の人々です。ザックリ言うと、ファリサイ派とは、神の掟(おきて)である律法(りっぽう)を熱心に、厳格(げんかく)に守ることを信念(しんねん)とする人々でした。律法を守ることで神さまに気に入られ、神の国を受け継(つ)ぐ者と認めていただけると信じている人々でした。
 だから、主イエスとは律法をめぐってしばしば対立しました。主イエスが律法を破(やぶ)られる、特に安息日(あんそくび)について定めた律法を破るからです。直前(ちょくぜん)にある13章10節以下でも、主イエスが安息日の決まりを破ったことが記(しる)されています。安息日に一人の婦人の曲がった腰を癒(いや)された。安息日とは、仕事を休む日と定められていますが、主イエスにとってはその決まりを守るよりも、人を愛すること、“愛の仕事”を行うことの方が、神さまに喜(よろこ)ばれるとお考えになったのです。主イエスの癒(いや)しを非難した会堂長はおそらくファリサイ派だったでしょう。6章6節以下にも、安息日に癒しをなさる主イエスに対して、ファリサイ派の人々が「怒(いか)り狂(くる)って、イエスを何とかしようと話し合った」(6章11節)ことが記されています。
 けれども、今日の聖書箇所(かしょ)では、そのファリサイ派が主イエスの味方であるかのように見えます。何人かの人が、「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています」(31節)と、主イエスの生命(いのち)を案(あん)じるかのような忠告(ちゅうこく)をしているからです。ファリサイ派の中にも、融通(ゆうずう)の利(き)かない自分たちの信仰を反省(はんせい)して、主イエスに同調(どうちょう)する人もいたのでしょう。
 今日の聖書箇所にはもう一人、主イエスに敵対する人物が登場(とうじょう)します。それは、「ヘロデ」です。ヘロデは、主イエスの故郷(こきょう)ナザレの村があるガリラヤ地方の領主(りょうしゅ)であり、自分の兄の妻であったヘロディアを権力(けんりょく)に任せて奪(うば)い取った人物でした。その行為(こうい)を洗礼者ヨハネから非難(ひなん)されたために、今度は権力に任(まか)せてヨハネを捕(と)らえ、首をはねて処刑(しょけい)したのです。ヨハネはヨルダン川で人々に悔(く)い改(あらた)めることを呼びかけ、洗礼を授(さず)ける宣教(せんきょう)活動をしていました。
 主イエスは、このヨハネから洗礼をお受けになりました。そして、ヨハネが捕らえられた後、故郷ガリラヤで宣教活動をお始めになったのです。ヘロデにしてみれば、ヨハネの後継者のように見えたでしょうから、主イエスの存在は、ヨハネを消してもなお自分が非難されているかのようで、落ち着かなかったに違いありません。それで、主イエスを捕らえて殺そうと考えたのでしょう。

 そのようなヘロデの殺意(さつい)を、ファリサイ派の一部の人々が主イエスに伝えました。ところが、主イエスは恐れて逃げ出すどころか、毅然(きぜん)としてお答えになったのです。
「行って、あの狐(きつね)に、『今日も明日も、悪霊(あくれい)を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい」(32節)。
 「あの狐」と、主イエスはヘロデのことを呼ばれました。人をそのような言い方で非難するのはいかがなものか、という意見もあるでしょうが、ずる賢(かしこ)く、自己中心で、神を畏(おそ)れないヘロデの生き様(ざま)を、憤(いきどおり)りを込めてそのように言われたのでしょう。
 これは、ヘロデに対して、“私は逃げも隠れもしないぞ”という宣言(せんげん)だと受け取ることができます。普通なら、ヘロデの権力と殺意(さつい)を恐れて、逃(に)げ隠(かく)れしても不思議ではないところです。ところが、主イエスは、今日も明日も、自分のなすべき使命(しめい)を果(は)たす、とお答えになりました。それは、人々から悪霊を追い出し、病気を癒すことによって、神の愛を実行すること、神の国を実現することでした。その使命を疎(おろそ)かにして、立ち去ることなど思いもよらない、と主イエスは言われたのです。
 「三日目にすべてを終える」という言葉は、聞いているだれにも、もちろんヘロデにも分からなかったでしょう。これは、主イエスが既(すで)に9章で予告されたことですが、ご自分がエルサレムで十字架に架(か)けられて殺されることと、その死から三日目に復活(ふっかつ)することを表してます。死からの復活によって、ご自分の使命が完成する。神の愛が、神の国が虚(むな)しいものではないことが証明されると言われたのです。
 そのような神の使命の道を生きていることを、主イエスは次の言葉で言われました。
「だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない」(33節)。
 主イエスが進まれる「自分の道」、それはエルサレムへと進む道でした。もちろん、地理的(ちりてき)な意味での道のことを言っているのではありません。神の都と呼ばれるエルサレムで、神によって託(たく)された使命を果たすための生き方のことです。その使命とは、「めん鳥が雛(ひな)を羽の下に集めるように」(34節)、神さまがエルサレムに生きる人々をお集めになる。エルサレムで神さまを礼拝する人々を、ご自分の救いの翼の下にお集めになる。その神の救いの御心を、神さまに遣わされた者として、神の子としてご自分が果たす、ということです。
 けれども、その使命がそう簡単に行かないことを主イエスは知っておられます。エルサレムの人々が、「預言者(よげんしゃ)たちを殺し、自分に遣(つか)わされた人々を石で打ち殺して」(34節)来た歴史をご存じだからです。神を最も強く信じている人々が、神に最も近いはずの人々が、神さまから遣わされた預言者たちを殺す。“私は神を信じている”と主張しながら、神の心を宿した預言者に歯向(はむか)い、神の言葉に聞き従わず、抹殺(まっさつ)してしまう。そこに、どうしようもない人間の罪の深さが、自己中心で独善的(どくぜんてき)なエゴイズムが現れていると言えないでしょうか。そして、この罪の姿は、他人事ではなく、私たち自身の日常、人間関係、人生でもあると受け止めなければならないと思うのです。
 だから、主イエスは、エルサレムでご自分が人々に受け入れられず、殺されることを知っているのです。それでも、ご自分の生命を投げ出すことによって、神の恵みを伝えようとなさっているのです。最も大切な命を捨てる生き様に何かを感じ取ってほしい。神さまがそれほどまでに、救(すく)いの翼(つばさ)の下に罪深い者を集めようとしておられることを知ってほしい。その恵みを知って悔い改めてほしい。この福音を伝える道を、主イエスは歩こうとしておられるのです。それが「自分の道」なのです。「わたしは今日も、明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない」と主イエスが言われる道なのです。

 「自分の道」、今日の聖書の御言葉を黙想しながら、この言葉に強く引きつけられました。私にとって、「自分の道」とは何だろうか?と。私は時々、道に迷うのです。皆さんもそうではないでしょうか。
 そんなことを考えていた時に、『こころの友』9月号で、宮嶋信さんの記事を読みました。宮嶋さんは、社会の中でスムーズに生きていけない人たちと共に生活をするNPO法人・信州共同学舎の代表を務(つと)めておられる方です。昨年度1年間、月刊誌の『信徒の友』にも、共同学舎を紹介する記事が連載(れんさい)されていました。
 余談(よだん)ですが、先週の日曜日、私は休暇(きゅうか)をいただいて、こちらの礼拝は皆さんにお任せして、一人の礼拝者として他の教会に出席させていただきました。長男を、その日のうちに新潟の敬和学園まで送り届ける都合で、その行きがけに、どこの教会の礼拝に出席するか迷いました。二転三転して、結局、毛呂教会の礼拝に出席させていただきました。その受付に、『こころの友』9月号が置いてありまして、それを見た長男が“あっ”と言って手に取り、いただいていました。昨年、敬和学園のプログラムで、信州共同学舎に行ったことがあったからです。何10キロという荷物を担(かつ)いで、1時間以上の山道を歩いたと言っていました。
 信州共同学舎は、長野県小谷村の、街から山道を1時間半歩いたところにあります。この共同学舎は、信さんの父・宮嶋眞一郎さんが、東京・自由学園の教師をやめて、1974年に創設(そうせつ)したものです。信さんは創設の当初から父親に協力し、関(かか)わっておられました。障がいや病気、様々な事情を抱(かか)えて、社会でスムーズに生きられない人々と共に、農業、家畜の飼育、藍染(あいぞめ)、機織(はたお)り、パン工房など、地域に密着(みっちゃく)した多彩(たさい)な生産活動をしています。
 宮嶋信さんの人生を変えた出会いの一つは、島田療育園を訪ねたことだったと言います。父親に連れられてクリスマスケーキを届けに行ったとき初めて、当時は目にすることが珍しかった障がいを持つ人と、その施設で働く人たちと出会ったそうです。
 信さんは自由学園を卒業後、この島田療育園に2年間勤務しました。そして、今後の働きに生かすべく、ドイツで音楽セラピーを学ぶための準備をしていたとき、父親と共に共同学舎を設立することになり、音楽セラピーの道は断念(だんねん)したということです。
 また、共同学舎での39年間の歩みは決して平坦(へいたん)ではなかったと言います。特に、息子のKさんをプールでの溺死事故(できしじこ)で亡(な)くしたときは、“なぜ神さまはこんなことを許すのか”と心のバランスを失ったこともあったと言います。“今思うのは、神さまがあの純粋(じゅんすい)な子を天に召されたのは、たとえ私が60歳になっても純粋であるようにと教えるためだったのではないか”。そう受け止めて、宮嶋信さんは、信州共同学舎で歩んでおられます。
 島田療育園での音楽セラピーの道を断念して、父親と共に共同学舎を創設したことは宮嶋信さんにとって、「自分の道」だったと思います。そして、その人生の歩みの中で、息子さんを失ったことも「自分の道」だと受け止める以外になかったと思います。苦しみ悲しみを受け止めることができず、逃げ出したくなることもある。投げ出したくなることもある。心のバランスを失うこともある。それでも、今日も明日も、次の日も、その道を、自分の人生を進んで行く以外にないのだと思います。弱い自分のことを、「めん鳥が雛(ひな)を羽の下に集めるように」、神さまが救いの翼、愛の翼の下に覆(おお)い包み、支えてくださると信じて進む以外にないのだと思います。そして、そういう道を生きているとき、人は周りの人に対して、やさしくなることができるのではないでしょうか。
 宮嶋信さんのような信仰に生きる、立派な人々の姿を記事で読み、その話を聞くと、“自分はいったい何者だろうか?”と考えさせられます(たぶん宮嶋さんも迷われるのでしょうが)。「自分の道」は何なんだろうか?と考えさせられます。もちろん、自分が宮嶋さんと同じようにできるとは思っていない、だれでも同じようにできるとは思っていません。けれども、自分の姿、自分の生き様を自分自身が見て知っているが故に、“これでいいのか?”と迷うのです。
 けれども、今日、御言葉から改めて教えられました。「自分の道」は牧師として生きること。今、坂戸いずみ教会の牧師として生きることだ、と。ここで、迷ったり、悩んだり、苦しんだりすることがあっても、自分らしく、精一杯(せいいっぱい)生きることだと教えられました。そうして生きていれば、神さまは御心(みこころ)ならば、私にまた新しい「自分の道」を、将来の道を示してくださると信じて、今日も明日も、次の日も、生きることを、周りの人を愛して生きることを示されました。
 私たちには一人ひとり、「自分の道」があります。その道を、神の導(みちび)きの道を、信じて進みましょう。



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