2013年11月24日 大人と子供の礼拝説教
  聖  書  使徒言行録27章21〜26節
  説教者  山岡 創

「元気を出しなさい」

 私が子どもの頃、今ここに来ている子どもたちと同じように教会で過ごしました。礼拝を守り、分級活動(ぶんきゅうかつどう)をし、遠足(えんそく)やキャンプ、クリスマス会等もやりました。そんな教会学校(子どもチャペル)で、当時、けっこうたくさんの紙芝居(かみしばい)を読んでもらいました。その中で、私がいちばんに覚(おぼ)えているのは、『タイタニックは沈(しず)まない』という紙芝居でした。その時代に、世界最大(せかいさいだい)の豪華客船(ごうかきゃくせん)として、“絶対(ぜったい)に沈まない”と言われていたタイタニック号が、夜中に氷山(ひょうざん)に衝突(しょうとつ)して沈んでしまう、という内容(ないよう)でした。他のどの紙芝居よりも、私の子ども心に強烈(きょうれつ)に残りました。
 この紙芝居は、本当にあった出来事を題材(だいざい)として作られたものでした。タイタニック号は長さ269m。夏のキャンプで学んだノアの箱舟(はこぶね)のちょうど2倍もありました。1912年、イギリスからアメリカに向けて出港(しゅっこう)したこの船は、初めての航海(こうかい)で、わずか5日目に、氷山にぶつかり、大西洋(たいせいよう)の底(そこ)に沈(しず)んでしまったのです。
 1997年に〈タイタニック〉という映画(えいが)が公開(こうかい)されたとき、“あっ、あの紙芝居の話だ!”と思い出しました。
 それにしても、どうしてそんな紙芝居が教会にあったのでしょう? 今、考えてみると、不思議(ふしぎ)です。聖書(せいしょ)と何の関係(かんけい)があったのか? 私が、紙芝居の最後(さいご)の落(お)ちのところを忘れてしまっただけなのか? ともかく、いちばん記憶(きおく)に残っている紙芝居です。今でもあるのなら、ちょっと読んでみたいですね。

 今日読んだ聖書の箇所(かしょ)も、船が嵐(あらし)に遭(あ)って沈みそうになるという話です。パウロさんの時代は、今よりも2千年近く昔(むかし)ですから、船の旅(たび)はとても危険(きけん)でした。現代(げんだい)よりも、タイタニック号の時代(じだい)よりも、船を造(つく)る技術(ぎじゅつ)も知識(ちしき)もないのですから、もっともっと沈没(ちんぼつ)する危険(きけん)がありました。嵐に遭って船が沈むということは、かなりあったと思います。
 パウロさんを乗(の)せた船は、地中海(ちちゅうかい)をロ−マに向かって進んでいました。パウロさんがローマで、裁判(さいばん)を受けるためです。パウロさんは、イエス様を救(すく)い主(ぬし)と信じる信仰(しんこう)のことで、ユダヤ人たちから訴(うった)えられました。本当は裁判になるようなことではないのですが、ユダヤ人たちが、パウロの信仰は間違(まちが)っている、みんなを惑(まど)わしていると訴えたものですから、最初は地元(じもと)のユダヤで裁判を受け、更(さら)にローマまで行って裁判を受けることになったのです。
 その途中(とちゅう)で、船が嵐に遭います。直前の20節に、「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」とあります。そのために、「人々は長い間、食事をとっていなかった」(20節)と書かれています。“もうだめだ、助(たす)からない”とあきらめ、絶望(ぜつぼう)している状況(じょうきょう)です。

 そんな中で、パウロさんが人々に語(かた)りかけます。
「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたに違いありません」(21節)。
 あれ? 何だかちょっと愚痴(ぐち)っぽいなあ。そう思いませんか。ああしなければよかった。こうしておけば良かった。私たちは、うまくいかないと、そう思って、つい言ってしまうことがあります。でも、そんなことを言っても何にもなりません。余計(よけい)に気持(きもち)がマイナスに、ネガティブになるだけです。分(わ)かっている。分かっていても、つい言いたくなるんですね。
 けれども、大切(たいせつ)なことは、うまくいかなかった、失敗(しっぱい)した、挫折(ざせつ)した“そこから”、どのように考えて、どのように進(すす)んで行くかです。
 パウロさんは、そのことをちゃんと言ってくれます。
「しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです」(22節)。
そのように、神さまからお告(つ)げがあった。天使(てんし)を通(とう)して、神さまが約束(やくそく)してくださった。そう言って、パウロさんは、もう1度言います。「ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています」(25節)。
これは、11月中に子どもチャペルで暗唱(あんしょう)している御言葉(みことば)ですね。
 神さまを信じると、元気になれる。信仰は、私たちの心に希望(きぼう)と勇気(ゆうき)を与(あた)えます。自分の力や人の力では、“もうだめだ”と諦(あきら)めそうになる時でも、神さまの力を、神さまの愛(あい)を信じたら、“きっとだいじょうぶ”と元気になれる。支(ささ)えられる。太陽(たいよう)も星(ほし)も全(まった)く見えないような嵐の中でも、その雲(くも)の向こうに広がる青空(あおぞら)を信じて、進むことができる。信仰パワーって、すごいんだよ。
 今、坂戸いずみ教会が生まれてから20年余(あま)りが過ぎて、20年の記念誌(きねんし)を作っています。皆さんに、クリスマス・プレゼントとしてお渡(わた)しできそうです。その記念誌に、大人だけでなく、子どもたちにも文章(ぶんしょう)を書(か)いてもらいました。その中で、一人の女の子が、こんなことを書いてくれました。
  教会に来て変(か)わったこと・・と言えば、何か難(むずか)しいこと、イヤなことがあったら、「これも神様のお導(みちび)き(かもしれない?)」と思うようにしています。何か分からないけど、そうすると、「とにかくチャレンジしてみよう」っていう気分になれるのが変わったことです。
私は、この文章を読んで、“そうだよ!”と嬉(うれ)しくなりました。

 私たちの毎日の生活(せいかつ)、私たちの人生(じんせい)を「船」だとするならば、私たちもやはり嵐に遭います。ただの嵐ではありません。友だちとうまくいかなくて悩(なや)んでいるという心の嵐です。いじめられたり、不登校(ふとうこう)になってしまったという嵐です。家族(かぞく)がごたごたしている、仕事(しごと)で失敗(しっぱい)した、会社をリストラされた、受験(じゅけん)に失敗した、重(おも)い病気(びょうき)になってしまった、愛する家族や友だちが死(し)んでしまった、そういう嵐です。
 そんな嵐に遭(あ)うと、苦(くる)しくて、辛(つら)くて、悲(かな)しくて、雲(くも)の向こうにある青空なんて、希望(きぼう)の光なんて、なかなか見えません。
 けれども、その時、自分の「船」の中に、だれが一緒(いっしょ)に乗(の)ってくれているかで、人生は大きく変わります。自分と一緒に悩み苦しみ、自分を励(はげ)ましてくれる人が乗っていると、私たちは慰(なぐさ)められます。励まされます。元気が出てきます。勇気(ゆうき)が出ます。
 神さまを信じ、イエス様を私の救い主と信じることは、自分の「船」に、イエス様に一緒に乗ってもらうことです。イエス様と一緒に旅(たび)をする。そのとき、私たちは元気に、平安に、生きることができるでしょう。


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