2014年1月26日 大人と子供の礼拝説教
  聖  書  コロサイの信徒への手紙12節〜17節
  説教者  山岡 創

「愛はすべてを完成させるきずな」

 今日聞いた聖書の御言葉の16節に、「キリストの言葉があなたがたのうちに豊かに宿るようにしなさい」とありました。聖書の中には、16節にもあるように“宿(やど)る”という言葉が時々出て来ます。宿るというのは、宿を取る、ということで、つまり“泊(と)まる”という意味です。ホテルに泊まる。キャンプ場に泊まる。おじいちゃん・おばあちゃんの家に泊まる。友だちの家(いえ)に泊まる。教会に泊まる。みんなも、色々なところに泊まったことがあるでしょう。
 では、泊まると言ったら、どこに泊まりますか? テントかな? 夜空(よぞら)の下で星を見ながら寝袋(ねぶくろ)かな?‥‥そういうことも、たまにはあるかも知れません。まあ、泊まると言ったら家に泊まります。建物(たてもの)に泊まります。
 そこで思ったのですが、16節の御言葉は、キリストの言葉があなたがたの内(うち)に宿るように、宿を取るように、と言うのですから、あなたがたの内に、私たちの内に、目には見えない“家”がある。そんなイメージを想像(そうぞう)しました。絵(え)にすると、こんな感じでしょうか。私たちの中にある目に見えない家。この家を、私たちは‥‥“心(こころ)”と呼びます。

この手紙を書いたパウロさんは、私たちの中にある心という家に、キリストの言葉が宿るようにしなさい、と勧(すす)めます。キリストの言葉が私たちの心に家に宿を取る。今日の聖書の御言葉を読んで、私は、キリストの言葉を、別の7つのものに置き換(か)えることができる、言い換えることができると思いました。さあ、その7つとは何だと思いますか?‥‥‥一つめは、人の痛(いた)みが分かること(憐(あわ)れみの心)、二つめは、思いやり(慈愛(じあい))、三つめは、思い上がらないこと(謙遜(けんそん))、四つめは、優(やさ)しさ(柔和(にゅうわ))、五つめは、広(ひろ)い心で人を受け入れること(寛容(かんよう))、六つめは、腹が立っても我慢(がまん)すること(忍(しの)び合(あ)い)、そして七つめは、赦し(赦(ゆる)し)です。
この7つが、私たちの心の家に宿るように、“泊めてください!”と言って、ぼくらの心の家にやって来るようにしなさい、というわけです。
ところで、私たちは、自分の家ではないところに泊まりたいと思うことがあるでしょう。それは、どうしてですか? 楽(たの)しそうだから、おもしろそうだから。‥‥ホテルやキャンプ場なんかは、そういう理由(りゆう)でしょう。では、おじいちゃん・おばあちゃんの家、友だちの家、教会は?‥‥おじいちゃんやおばあちゃんと親しくつながっているから、友だちと仲良くつながっているから、イエスさまや教会の仲間(なかま)と家族(かぞく)のようにつながっているから、でしょう。そういうつながりのことを‥‥‥“絆(きずな)”と言います。
毎年(まいとし)、その一年間の日本の様子(ようす)を、漢字(かんじ)一文字で表(あらわ)す〈今年(ことし)の漢字〉が発表されます。ちなみに、2013年の今年の漢字は“輪(わ)”でした。“絆”という漢字は、2011年の今年の漢字に選(えら)ばれました。東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)という苦(くる)しみの中で、家族や人とのつながりを、改めて強(つよ)く感じたことや、女子サッカー・ワールドカップで優勝(ゆうしょう)したなでしこジャパンのチームワーク等が、選ばれた理由だったようです。
絆というのは、元々(もともと)は、馬や犬や鷹(たか)をつないでおく紐(ひも)のことだそうです。犬を散歩(さんぽ)に連(つ)れて行ったり、つないでおく時のリード、あれが元々は絆なのです。でも今は、人と人のつながり、結(むす)びつきという意味で使われます。
おじいちゃんやおばあちゃんとの絆、友だちとの絆、イエスさまや教会の仲間との絆があるから、泊まりたいと思うのです。
この7つも、私たちの心という家に住んでいる“あるもの”との絆があるから、“泊まりたい、泊めてくれ!”と言って、やって来るのです。でも、その“あるもの”が、ぼくらの心の家に住んでいないと、“この家は自分の知らない人の家だ。関係(かんけい)ない”と言って、やって来ないでしょう。さあ、この7つと親(した)しい、深(ふか)い絆を持っている“あるもの”って、何でしょう? ‥‥‥それは“愛(あい)”です。私たちの心という家に、“愛くん”が住んでいると、その愛くんが“みんな、ぼくの家に泊まりにおいでよ”と、引っ張(ひっぱ)るから、この7つが、“わーい、泊まりに行こう!”って、やって来るのです。
このことを、今日の聖書の14節が、こう言っています。
「これらすべてに加えて、愛を身につけなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」
もし教会で〈今年の漢字〉を選ぶとしたら、それは間違(まちが)いなく“愛”だと思います。否(いや)、今年だけでなく、来年(らいねん)も再来年(さらいねん)も“愛”だと思います。愛は、相手を大切だと思う気持です。相手を宝物(たからもの)のようにすることです。この愛が、私たちの心の中で、思いやりも、優しさも、我慢も、赦しも、完成(かんせい)させます。

 でも、この“愛くん”は、ぼくらの心という家に、最初(さいしょ)から住(す)んでいるかと言うと、そうではないんです。元々は住んでいない。“愛くん”は、外からやって来る。そして、“きみの心の家を貸(か)してくれ。そこに住むから”と言って、住み着(つ)くんです。さて、どういうことでしょう?
 ぼくらは、お父さんやお母さんから愛されると、その愛が心の中に注(そそ)がれて、住むようになります。家族や友だちや、周(まわ)りの人から愛されていると、自分も人を愛するようになります。そうやって、愛が注がれて心の家に住むようになります。そういう愛の中で、いちばん大きな愛は何でしょう?‥‥‥神さまの愛です。12節に、「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから‥」とありました。神さまは、私たち一人ひとりを愛してくださっています。大切にしてくださっています。自分の一人息子(ひとるむすこ)のイエス様の命を引き換(ひきか)えにしてもいいぐらい愛してくださっています。この神さまの愛で、自分は愛されていると感(かん)じると、信(しん)じると、ぼくらの心という家に“愛”が住むようになります。イエス・キリストの愛が住むようになります。

 ぼくらの心という家に、愛に住んでもらう。愛に引っ張ってもらって、これらの7つに宿ってもらう。それは何のためでしょうか? ちゃんと目的(もくてき)があります。
 それは、私たちが「平和」をつくり出すためです。平和に暮(く)らすためです。けんかや争(あらそ)いや戦(たたか)いが起(お)こって、自分も人も、嫌(いや)な気持にならないためです。
 今の子どもたちは、平気(へいき)で“死ね”という言葉を使う子が多いようです。それは、相手(あいて)に“消(き)えろ”“いなくなれ”“お前なんていなくていい”と言っている、難(むずか)しい言葉で言えば、相手の存在(そんざい)を否定(ひてい)している、相手の命(いのち)を否定している、ということです。それはね、神さまが造(つく)られ、与(あた)えられた命を“なくなれ”と否定していることですから、神さまのすることに逆(さか)らっているということです。だから、“死ね”と言ってはいけない。
 今日の聖書の話で言えば、“死ね”という人の心に愛は住んでいると思いますか? 住んでいないと思いませんか? “死ね”という言葉は、愛がないから言える言葉です。だから、言ってはいけない。
 “死ね”という言葉は結局、自分の心という家をぶち壊(こわ)します。“死ね”という人を見て、“この人、心が壊れているなあ”と思いませんか? それは、自分で自分の心をぶち壊しているんです。自分で自分の心を壊したくはないでしょう? だから、“死ね”と言ってはいけない。相手に“死ね”と言われたら、悔しくて言い返したくなる気持は分かります。でも、“死ね”と言い返してはいけない。つい言ってしまうこともあるでしょう。そうしたら、次からは言わないようにしよう。
 自分の心を壊さない。壊れた家には愛は住みません。自分の心を壊さないことが、結局(けっきょく)、自分が気持よく暮らせる平和を生み出すのです。
「これらすべてに加えて、愛を身につけなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」
愛は最後に、平和を完成(かんせい)させます。愛で行きましょう!


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