2014年2月16日 礼拝説教
  聖  書  ルカによる福音書17章11〜19節
  説教者  山岡 創

「戻って来て、感謝」

 昔話に〈姥(うば)捨て山〉というのがあります。年を取って役に立たなくなった老婆を、家族が捨てて行く山がある。一人の息子が、年老いた自分の母親をその山に捨てる。でも、母が心配で、居ても立っても居られない。ついに自分が悪かったと後悔して、その山に母を捜しに行く。すると、年老いた母親は元気に生きていて再会を果たすことができた、という話です。
 今日の聖書に出て来た「ある村」(12節)というのも、そんなふうに“人を捨てる村”だったかも知れません。年老いた者を捨てるのではありません。「重い皮膚病」(12節)を患っている人を隔離(かくり)する村です。重い皮膚病は伝染すると考えられていました。だから、この病にかかった人はコミュニティーから隔離されたのです。健康な人に近づいてはならなかったのです。だから、だれかが近づいて来れば、“わたしは汚(けが)れた者です”と叫んで、自分のことを知らせなければなりませんでした。10人の人が「遠くの方に立ち止まったまま」(12節)叫んだのも、そういう理由からです。
 「重い皮膚病」は、差別用語や不快語が改められる前の聖書では、いわゆる“ハンセン病”と訳されていました。20年以上前に、神学校の卒業旅行で、草津にある栗生楽泉園(くりゅうらくせんえん)という施設にいたことがあります。ハンセン病を患っている人が生活する施設です。施設というよりも、まさに“村”でした。広大な敷地の中に、郵便局もあり、教会もある。そこで初めて、ハンセン病の人たちを目の当たりにし、話を伺い、その苦しみを知りました。あれは、病を患っている人たちが療養する施設であると同時に、その病が伝染しないように隔離する“村”でもあったと思います。
 約2千年前の主イエスの時代、ユダヤでは、重い皮膚病を患った人は、人に近づかないように郊外で、コミュニティーの外で生活しなければなりませんでした。けれども、今日の聖書箇所で、主イエスが通られた地域は「サマリアとガリラヤの間」(11節)と記されています。二つの地方の境界線です。そういう境界線上に、お互いにお互いを求め合って、隔離された人たちの村ができたとしても不思議ではないと推測する人がいます。そして、そういう村に主イエスがお入りになって、10人の人たちを癒(いや)したのだとすれば、それは〈現代版・姥捨て山〉だと言ってもよいかも知れません。主イエスはそのように、社会から見捨てられたような人を憐れんで、お救いになるのです。

 主イエスがこの村に入られると、重い皮膚病を患った10人の人が出迎えて、遠くの方から、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」(13節)と叫びました。病を癒してほしかったからです。
 主イエスはその叫びを聞き、彼らを見て、「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」(14節)と言われました。ユダヤ人の掟である律法の中に、皮膚病の判断と清めの儀式のことが定められています(レビ記13〜14章)。その人が、隔離すべき皮膚病かどうかを判断するのは祭司の仕事でしたし、治癒(ちゆ)したことを判断するのも祭司の仕事でした。だから、主イエスが「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と命じたのは、“祭司に、あなたの皮膚病が治ったことを判断してもらいなさい。証明してもらいなさい。そうすれば、社会に復帰できる。家に帰ることができるよ”という意味です。
 けれども、にわかにその言葉を信じることができるでしょうか。主イエスがそう言われた時点では、まだ重い皮膚病はそのままでした。治ったわけではありません。治るかどうか、分らないのです。主イエスがその場で癒してくれれば、祭司のところに行けと言われて、行くのは簡単だったでしょう。否、むしろ喜んで、何をおいても祭司のところに向かったに違いありません。しかし、この時点ではまだ病を患(わずら)ったままなのです。
 けれども、10人は、主イエスのこの言葉に従いました。半信半疑の者もいたかも知れない。そんなバカな、と思った者もいたかも知れない。迷った者もいたかも知れません。けれども、彼らは、主イエスの言葉を信じて、これに懸けたのです。そしてそれは、“信仰の第一歩”と呼ぶべきものでした。
 主イエスの言葉は、まだ実現していない。実現するかどうか分からない。その言葉は、自分自身の判断やこの世の常識から見れば、実現しない可能性の方がずっと高いと考えられるものが多々あります。否、ほとんどがそうかも知れません。しかし、信じなければ何も始まらない。何も変わらない。先週お話した直前の箇所にもありましたが、信じなければ、桑の木は動かない。人生の“山”は動かないのです。
 癒されたわけではない。結果が出たわけでもない。苦しく、辛(つら)い現実は変わっていないかも知れない。けれども、自分の判断や常識ではなく、たとえバカらしく見えるとしても、主イエスの言葉に懸けて生きていく。神の言葉、聖書の御(み)言葉を信じ、御言葉に従って生きていく。そこに信仰が生まれます。信仰の第一歩が始まるのです。
 別の個所で、主イエスは、病を患っている人に手を触れて、その場で癒している場面が幾つもあります。けれども、今日の聖書箇所で主イエスがそのようになさらなかったのは、彼ら10人に、御言葉を信じて懸ける信仰があるかどうかを試されたのかも知れません。そして、現代の私たちも同じく、主イエスにしばしば試されます。別の言い方をすれば、“私の言葉を信じて従いなさい”と信仰の人生に招かれるのです。この主イエスの招待に応えるかどうか、それは自分次第です。

 10人は10人とも、主イエスの言葉に従って行動しました。その意味では、主イエスの最初のテストに及第したのです。主イエスの招待に応えたのです。そのようにして祭司のところへ向いました。そして、「彼らは、そこへ行く途中で清くされた」(14節)のです。重い皮膚病が癒されたのです。主イエスの御言葉が実現したのです。けれども、ここからが“信仰の別れ道”でした。10人一緒に歩いていた道が、ここから二つに分かれるのです。
「その中の一人は、自分が癒されたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」(15〜16節)。
 賛美しながら戻って来て、感謝したのは一人でした。それを見て、主イエスは、
「清くされたのは十人ではなったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」(17〜18節)
と嘆(なげ)きめいたことを言われました。けれども、その一人を見て、すぐに思い直して、
「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(19節)
と言って、彼を祝福し、送り出すのです。
 主イエスはここで、神を賛美しながら戻って来て、感謝した人に、「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。“救い”という言葉を、ここで初めて使われました。10人の皮膚病が治った時には、「清くされた」とか「いやされた」という言葉は使われていても、“救われた”とは書かれていません。と言うことは、病が治ること、癒されることと、救われるということは、同じではない、ちょっと違う事柄なのではないかと思うのです。
 私たちは、病気を患えば治りたいと思います。神さまを信じていれば、癒してくださいと祈り願います。重く、苦しい病気であれば、なおさらのことです。そのように願って、病気が癒されれば、こんなに嬉しいことはありません。そして、病気が癒えたとき、私たちはそのことを、神の救いだと思うかも知れません。けれども、それはどうやら、主イエスがお考えになる救いではない、聖書が私たちに示す救いではないようです。もちろん、病の癒し自体が悪いとか、あってはならないとか言っているのではありません。ただ、病の癒し=救い、だと考えたら、それは主イエスの御(み)心から道を逸(そ)れるということです。救いは、それとは別にあるということです。
 一人のサマリア人は、神を賛美しながら戻って来て、主イエスの足もとにひれ伏して、感謝しました。神を賛美する人生、主イエスに感謝する人生、私は、そういう人生こそが“救い”だと思うのです。言い方を換えれば、自分の人生を受け入れる生き方、肯定する生き方ということです。それは、病が癒されたから、自分の祈りと願いがそのとおり叶ったから、神を賛美し、感謝できるというのではありません。たとえそうでなくとも、私たちは神を賛美し、感謝できる。自分の人生を受け入れ、肯定することができる。神を信じる信仰が、主イエスの御言葉を信じて従う信仰が、それを可能にするのです。
 先日の礼拝説教で、久しぶりに藤木正三牧師の言葉を引用しました。私がとても尊敬している、そして教えられている先生です。その藤木先生の著書を読み返していましたら、〈感謝〉というタイトルの文章に出会いました。こんな内容です。
  良いことがあれば感謝する、当然のことですが、良いことがなければ、不平に変わるかも知れません。何でもかんでも感謝する、その素朴な善良さには打たれますが、安易な繰言(くりごと)という感じもしないではありません。それよりも、どんな時にも黙々と生きている人を見ると、深く人生に感謝している人という感じがするではありませんか。感謝というのは、あれこれの人や事柄に対する反応ではなくて、他人と比べずに、ただ自分を大切に生かしてゆくことに日々つとめる、そういう人生全体に対する肯定のことでありましょう。(『灰色の断想』125頁)
 この文章を読んで、改めて、感謝とは、人生全体に対する肯定である、自分の人生を受け入れるという深い意味であり、態度であることを教えられます。しかも、病が治ったという事柄に対する感謝ではなく、神さまのお導き、お支えの中で生きている、否、生かされて、ここにある、ということを信じるからこその肯定であり、人生受容です。
 それでピンッと来たのですが、一人のサマリア人は、祭司のところへ行く「途中で」戻って来ました。戻って来て、賛美し、感謝しました。まだ祭司に治ったことを証明してもらったわけではありません。そういう意味でも「途中」です。癒しが完全な事柄となったわけではありません。しかし、彼は戻って来て、感謝したのです。そのことからしても、私たちの感謝とは、結果が見えてからするものではなく、人生の「途中で」するもの、途上ですべきものだということを教えられます。良いことばかりではありません。嘆きもあります。迷いもあります。それでも、人生の基本は、神に感謝し、賛美して生きる。そのように生きられることこそが救いであり、弱い私たちにそれを可能にするのが信仰なのです。

 サマリア人は、戻って来て、感謝し、賛美しました。この、戻って来るということを、“帰って来る”と言い換えても良いのではないでしょうか。そして、主イエスのもとに帰って来るということは、私たちにとっては、教会に帰って来るということ。教会に帰って来て、感謝し、賛美するということは、すなわち礼拝をささげることだと言って良いのではないでしょうか。
 高校1年生のIくんは、教会に来るといつも“ただ今”と言って入って来ます。そして、教会を出て行くときは、“行って来ます”と言って家に帰って行きます。普通に考えたら、挨拶(あいさつ)が逆です。だから、ちょっと違和感を感じる時もありますが、その心はよく分かるのです。和希くんは、教会に戻って来る、帰って来るという信仰なのです。そして、「立ち上がって、行きなさい」と、イエス様から御言葉と祝福を、“心のお弁当”として持たされて、“行って来ます”と出て行く、遣わされていく信仰なのでしょう。
 私たちは、主イエスのもとに、教会に戻って来るのです。そして、再びそれぞれの生活の場所へと遣わされていくのです。Oさんが、そのことで教会を“ガソリン・スタンド”とたとえたことがありました。私たちは日常生活というドライブ、人生というドライブをしている。そして、魂のガソリンが切れる。それを補給するために、そしてドライブを続けるために、魂のガソリン・スタンドに立ち寄るのです。戻って来るのです。そして、御言葉と祝福を補給する。神さまの導き支えを信じて、感謝し、賛美し、自分を受け入れ、人生を肯定する心で生きられるように、魂のエネルギーを補給して、「立ち上がって、行きなさい」と、主イエスに送り出されていくのです。
 ここから、“行って来ます”という心で、立ち上がって行きましょう。そして、感謝と賛美のドライブを続け、またここに“ただ今”と戻って来て、共に感謝しましょう。


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