2014年7月6日 礼拝説教
  聖  書  ルカによる福音書20章9〜19節
  説教者  山岡 創

「 神さまから預かったもの 」

 時々お話しますが、私は、高麗川(こまがわ)の向こう側で畑を借りて、家庭菜園を営んでいます。6月になって梅雨に入りましたが、雨が降った後に晴れ間が出ると、農作物は本当にグーンと成長します。さすが自然の力は違うなあ、と感じます。
 キュウリやナス、いんげん、モロヘイヤ等、ぼちぼち収穫できるようになってきました。我が家の夏野菜供給源です。その収穫の一部を、畑をお借りしている地主さんに納めるということは、もちろんありません。畑はお金を払って借りています。ちなみに、15坪で年間4,500円です。
 土地を借りているのですから、何らかの形で借地料を払うのは当然のことでしょう。ところが、今日の聖書箇所で、主イエスがなさったたとえ話においては、その当然のことが行われず、農夫たちによって不当なことが行われているところに、今日の話の核心があります。

 話の背景は、主イエスの時代によくあった、不在地主が小作人の農夫たちに土地を貸すという関係でした。当時、地主がユダヤ本国におらず、海外で生活しているか、あるいは地主が外国人で、元々遠い外国で生活しているというケースが少なからずあったようです。ですから、地主は、農夫たちに土地を貸している借地料として、収穫の一部を納めさせるために、「僕(しもべ)を農夫たちのところへ送った」(10節)のです。収穫の分配は、地主と農夫で半分に分けるのが一般的でした。
 ところが、たとえ話の中では、あり得ないことが起こっています。ぶどう園の主人が送った僕を、農夫たちが「袋だたききにして、何も持たせないで追い返した」(10節)というのです。主人が何人、僕を送っても結果は同じでした。そこで、主人は考えて、「わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬(うやま)ってくれるだろう」(13節)と息子を送ることにしました。普通に考えたら甘いような気がします。もし私が主人だったら、まず息子は送りません。僕が数名、袋だたきにされているのですから、そのことから事態を想定して行動すべきだと思いますが、主人は、なおも農夫たちを信頼して息子を送りました。
 案の定と言うか、それ以上の最悪の事態が起こりました。農夫たちは、土地を自分たちのものにするために、あろうことか、この息子を殺してしまったのです。
 この話を聞いて、律法学者や祭司長たちは、「そんなことがあってはなりません」(16節)と言いました。当時の社会の実際から考えても、農夫が地主の僕を追い返し、その後取り息子を殺すなどということは、あり得ない、考えられない出来事だったのです。

 さて、このたとえ話で、主イエスは何を語ろうとしているのでしょうか?律法学者や祭司長たちが、「イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいた」(19節)とあります。と言うことは、ここでは、僕を袋だたきにし、息子を殺す農夫たちとは、彼ら律法学者や祭司長たちのことです。ならば、他の話の設定は何をたとえているのでしょうか。ぶどう園の主人とは、主なる神、父なる神さまのことです。ぶどう園とは、ユダヤ民族、ユダヤ人社会のことでしょう。僕とは預言者たち、そして息子とは、イエス・キリストを表しています。
 このたとえ話は、神の民、神さまのものであるユダヤ民族、ユダヤ人社会を、律法学者や祭司長といった指導者たちが我がもののようにして振る舞っている在り方を非難しているのです。
ユダヤ人は、その先祖アブラハム以来、神さまが、ご自分の栄光を表わさせるために、ご自分の祝福と救いを世界に受け継がせるために、選んだ民族でした。ところが、彼らは、神さまの心、神さまの言葉に聞き従わず、自分勝手なことばかりをして、かえって神さまの顔に泥を塗っている。ユダヤ民族を我がものにしている。その罪に気づかせ、神さまに聞き従うようにさせるために預言者たちが遣わされましたが、だめでした。そこで、奥の手として神さまの独り子であるイエス・キリストがユダヤ人に遣わされたのですが、彼らはこの後、イエス・キリストを捕らえ、罪をでっち上げ、十字架に架けて殺すのです。あくまで神のものを自分のものにしようとするのです。
直前の19章45節以下に〈神殿から商人を追い出す〉という話がありました。神殿で神を礼拝するという敬虔(けいけん)な行為の陰で、商人たちは礼拝の便宜(べんぎ)を図るという名目で、いけにえの動物を売って金儲けをし、祭司長たちはその利益の一部を受け取って私腹を肥やしている。それが、神さまを利用した偽善だ、神殿を「強盗の巣」(46節)にしていると主イエスは非難しています。例えば、そのような指導者たちの振る舞いを、神のぶどう園を自分のものに奪い取ろうとする行為だと、主イエスは非難しているのです。
けれども、もし自分のしていることが、そのような神のものを略奪する行為だと分かっていたら、彼らはそのようなことはしなかったでしょう。問題は、自分たちの考えや行為を、そのような神のものを我がものにする自己中心的な生き方だとは思っていないところにあります。そうは思わずに、自分は神の言葉、神の心に従っている、正しいことをしていると自己正当化し、主イエスの言葉に耳を傾けず、抹殺(まっさつ)しようとするところにあります。

 私たちも、神さまのものを、まるで自分のものであるかのように振る舞っていることがないでしょうか?そのように感じることはないでしょうか?私たちもまた、気づかずに過ごしていることが多いかも知れません。せめて悔い改めの祈りを忘れずに、へりくだる心を忘れずに信仰生活を歩んでいきたいものです。
 先週の神学生礼拝に、日本聖書神学校からN神学生を迎えました。そう言ったら失礼かも知れませんが、温和な、まるで土のような温かみのある、素朴な信仰の方だなぁという印象を受けました。66歳という年齢と、社会の仕事を全うしたという実績から来る偉そうな態度は全く感じられませんでした。あの温かみ、素朴さはどこから来るのでしょう?私は、聖書を読んで、神の言葉を聞き、まっすぐに神さまと向かい合う信仰、信仰生活から来るのではないかと思うのです。Nさんは毎朝、聖書を1章読んで、祈ることから一日を始めると話されました。神学生になってからではなく、社会人の頃から続けて来たのだと思います。神の言葉に聞き、自分に照らし合わせ、自分が神の御(み)心に適っているかを考えながら、祈りながら生活しておられるのでしょう。
 私も20歳前後の頃、そして神学生になってからも聖書を1章読んで、祈る生活をしていましたが、今ではすっかりしなくなってしまいました。今は『信徒の友』の日毎の糧の聖書箇所を読んで祈ります。けれども最近、その聖書と祈りの生活が乱れています。やるべきこと、やりたいことを優先して、朝の黙想の時間が取れないことが多くなっています。
 今日の御(み)言葉を読みながらふと、そういう自分に、神さまのものを自分のものにして生活しているのではないか、神さまから預けられた命、その命の時間を自分の思うようにだけ使っているのではないかと反省させられました。

 もう一つ感じたことがあります。この前の月・火曜日、一泊二日で、高崎で行われた関東教区の開拓伝道協議会に参加しました。その二日目に、赤城高原にある赤城キャンプワンダーを訪れ、そこで月に1回守られている赤城礼拝についてお話を聞くことができました。赤城高原は神道色(しんとうしょく)の強い地域だということですが、戦後、大崎治部という牧師が、地域の若者たちと共に土を耕しながら農村伝道を志した土地で、そこで蒔かれた信仰の種、聖書の教えが今も生きている土地でした。大崎牧師に育てられた人々の中から、キリスト教保育を行う者、児童養護のホームを営む者、また農業に携わりながら地域でキリスト者として生きる者が起こされました。けれども、街中の教会まではなかなか通うことができません。前橋教会に出席する人もいましたが、皆ができるわけではありませんでした。
 そのような方々、またホームの人たちから礼拝を守りたいという思いが起こり、またちょうど開拓伝道を考えていた前橋教会の志とが一致して、2000年から月に1回、日曜日の午後、赤城礼拝が始まり、様々な問題や困難を乗り越えて、今日まで続いているということを伺うことができ、とても感動しました。
 赤城礼拝に出席されている方の中に、“Hちゃん”と皆さんから呼ばれている90歳近いおじいさんがいました。名前は分かりません。地域で農業を営んでおられる、朴訥(ぼくとつ)な感じの方でした。終始黙っていたのですが、そのHちゃんが最後に話し始め、“あなたがたはキリストによって罪を赦され、救われたのだ。赦され、愛された者は、周りの人のために生きるのだ”と大崎先生から教えられ、今も、地域の中で、そういう生活を志しているとお話しくださいました。そのHちゃんの言葉と姿に、神さまから預かったものを神さまのものとして生きている人の姿を感じました。それに比べて、毎週礼拝を守り、牧師までしている自分はどうだろう、自分の中に神の言葉は生きて働いているかと考えさせられました。
 私たちはきっと、神さまからたくさんのものを預けられて生きています。その預かりものを、自分勝手に使い、自己中心に振る舞うのではなく、神さまの御心を思いながら生活し、神のために、人のために生きる者でありたいと思いました。


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