2014年8月24日 平和聖日礼拝説教(大人と子どもの礼拝)
  聖  書  ミカ書4章1〜5節
  説教者  山岡 創

「 もはや戦うことを学ばない 」

 日本の自然、風景のシンボルと言ってもよい富士山が世界遺産になりました。子どもチャペルのTちゃんが、この夏休みに、お父さんと富士山に登ると言っていました。たぶん今までよりもたくさんの人が富士山に登るようになったのではないでしょうか。日本人だけではなく、外国の人も、今までよりも多くの人が日本に来て、富士山に登ったかも知れません。

 今日読んだ聖書の箇所にも、たくさんの人が、世界中の人々がまるで「大河のようにそこに向い」(1節)、ある山に登るようになる、と書かれています。これは、神さまの預言者であるミカさんが、神さまのご計画を預言し、書いたものです。
 その山は、2節にあるように「シオン」という山です。特別高い山ではありません。富士山のように、その辺りで一番高い山というわけでもありません。いや、むしろ低い山です。高さ835mの山です。周りには、この山よりも高い山もあります。
では、どうしてそんな山に、世界中のたくさんの人々が登りたがるのでしょうか?それは、この山に登ると、とても大切な「主の教え」(2節)を聞くことができるからです。それは、“平和の教え”です。世界中の人々が、そして私たちが、平和に生きることができるようになる教えです。
当時もまた、国と国、民族と民族が戦い、争い合っていました。神の民であるイスラエルも戦いの連続でした。人々は道に迷い、一緒に平和に生きる道を見失っていました。
 そのように戦い、争ってばかりいる世界に、主である神さまが平和をもたらしてくださる時が来ると、ミカさんは預言しているのです。その時が、1節に書かれている「終わりの日」です。終わりの日は戦い争いが終わる日、“平和が完成する日”と言い換えることができます。その日には、神さまが世界中の戦い、争いを裁いてくださいます。仲直りさせてくださいます。戦ってばかりいる強い国々を、“もうやめなさい”と戒(いまし)めてくださいます。神さまによって戦いを戒められ、仲直りさせてもらった世界中の国々、人々は、武力を捨てます。戦争する武器を、戦争する力を捨てます。その様子がこう書かれています。
「彼らは剣(つりぎ)を打ち直して鋤(すき)とし、槍(やり)を打ち直して鎌(かま)とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(2節)。
 人を切って殺す武器である剣を、畑を耕す道具である鋤に変える。人を突き刺す槍を、草を刈り、麦を収穫するための鎌に変える。人が剣を捨て、槍を捨て、戦うことを学ばない世界。鋤と鎌で畑を耕し、「自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に」(4節)安心して座ることのできる平和な世界を、神さまが実現してくださる日がやって来る。その日を望み、信じて、私たちも、戦いではなく平和の道を学ぶことが大切です。

 さて、今の日本の総理大臣はだれか、知っていますね?‥‥‥安倍晋三総理は、この前の7月1日に、集団的自衛権を使うことを決定しました。難(むずか)しい言葉ですが、できるだけ簡単に言うと、ある国が別の国から攻撃されたとき、日本の自衛隊もそこに行って、攻撃された国と一緒に戦う、ということです。これは、国と国との戦い争いを解決するために、戦争しない、戦争をするための武力は持たない、と謳(うた)っている日本国憲法第9条に違反することでしょう。そして、何より「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」世界の実現を望んでおられる主なる神さまの心に背くことではないでしょうか。
 だから、私たちの教会が属している日本基督(キリスト)教団関東教区は、〈集団的自衛権の行使容認の閣議(かくぎ)決定に反対し、撤回(てっかい)を求める声明〉を出し、安倍内閣に送りました。お手元に、その反対声明文のコピーをお配りしましたので、後でゆっくりご覧ください。
 このままでは、海外で戦争する機会が増えるでしょう。戦うことは人を殺すことです。自分が殺される可能性もあります。とすれば、自衛隊員になる人が減るのではないか。そうなると、日本も、徴兵(ちょうへい)制と言って、今、小学生、中学生であるみんなが、20歳になったら自衛隊に強制的に入れられ、戦うために訓練されるような時代が来るかも知れません。そんなことにはならないようにしたいと強く願います。

 戦うことを学ばず、平和に生きる世界を実現するために、もう一つ大切なことがあります。ミカ書には、剣を鋤とし、槍を鎌とし、武器武力を捨てることが書かれていましたが、軍隊、自衛隊、ミサイル、爆弾、戦闘機‥‥そういった武器を捨てるだけでは足りません。いちばん大切なことは、私たち一人ひとりが、自分の“心の中の剣・槍”を捨てることだと思います。つまり、人を攻撃(こうげき)する心を捨てる、ということです。
 今日の聖書箇所の最後に、こう書かれていました。
「どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。我々は、とこしえに我らの神、主の御(み)名によって歩む」(5節)。
 これは、一人ひとり信じている神さまが違う。でも、それでいいんだよ。お互いに自分の神さまを信じて、お互いに他の人の宗教も認めて、みんなで平和に生きていこう、という意味です。つまり、自分と違う神さまを信じている人を、“お前の神さまは偽物だ、間違っている”と攻撃しないことです。自分と違う人を攻撃する心を捨てることです。私たちの心には、自分と違う人、まして自分に反対する人を攻撃したくなる気持が潜(ひそ)んでいます。自分が正しいと主張する心があります。でも、その気持が、対立する雰囲気を生み、いじめを生み、けんかを生み、遂には戦いを生むのです。
 私たちの中にある、他人を攻撃する心を捨てる。それが、平和に生きるための、いちばん大切な基本だと思います。


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