2014年11月30日 待降節第1主日・礼拝説教
  聖  書  ルカによる福音書1章26〜38節 
  説教者  山岡 創

「 善い言葉に従って生きる 」

 今朝、教会に来たら、ずいぶん様子が変わっていることに、すぐに気が付いたことと思います。リースやクランツ、クリスマス・ツリー等の飾り付けがされている。それは、今日からアドヴェントという期間が始まったということです。
 アドヴェントは、12月25日のクリスマスの4回前の日曜日から始まります。今日はアドヴェント・クランツのキャンドルに1本、火が灯っています。日曜日ごとに増やしていき、4本のキャンドルに灯が灯ったとき、クリスマス礼拝を迎えます。その日に向かって今日から心を整えていきます。喜びのテンションを上げていくと同時に、どのように救い主イエス・キリストをお迎えするのが良いか、考えながら生活するのです。
 クリスマスは、私たちの救い主であるイエス・キリストが生まれた日です。その誕生を祝う祭りの日です。今日、教会に来た時、最初に目に飛び込んで来たのは、ショー・ウィンドウのように外に向かって見せているクリスマス・ツリーとクリブだったと思います。クリブというのは、聖書のクリスマス物語に登場する人物の人形です。飼い葉桶に眠るイエス様を中心して、ヨセフとマリアがいます。羊飼いたちがいます。星を調べる学者たちがいます。そして、向かって右端に‥‥天使がいます。今日読んだ聖書の箇所は、天使がマリアに、神の子イエス・キリストを身ごもることを告げる場面です。この天使のお告げからクリスマスの物語が始まります。

 マリアはとてもびっくりしたと思います。天使を見てしまったという驚きも、もちろんあったでしょう。けれども、もっと驚いたことがありました。それは、「あなたは身ごもって男の子を産む」(31節)と告げられたことです。いったい何の事?とマリアがポカンとしてしまったとしても不思議ではありません。
 この時代のユダヤでは、女の人は12歳で成人と見なされ、結婚しても良いとされました。マリアはヨセフとのいいなずけだった、つまり婚約していたとありましたが、まだ13〜14歳ぐらいだったかも知れません。日本で言えば中学生です。そんな、少女と言っていいマリアが、まだ結婚もしていないのに、「あなたは身ごもって男の子を産む」と天使から告げられたのです。
 マリアは必死で反論しました。“そんなことあり得ません。困ります”って。もし自分がそうなったら‥‥と考えてみたら、よく分かる。あり得ないことがもし起こったら、どうしていいか分からず、パニックになりますよね。
 けれども、そんなマリアに天使は淡々と語り続けます。あなたはまだ結婚していないけれど、聖霊があなたに降(くだ)り、神の力によってあなたは子どもを宿すのです。その子は神の子と呼ばれ、偉大な人になり、人々を救います。神さまにできないことは何一つないのです。マリア、恐れることはありません‥‥‥。この天使の言葉を聞いているうちに、マリアは次第に落ち着きを取り戻していったのでしょう。そして、神さまと神の言葉を信じて、自分の運命を受け入れようと決心したのでしょう。運命、それは、神さまがあなたの人生に定めてくださっているご計画です。その神のご計画を“分かりました”と受け入れる決心と覚悟をマリアはしたのです。それが、マリアの最後の言葉です。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(38節)。本当は、受け入れるまでに、もっと時間が、年月がかかったかも知れません。簡単に“分かりました”とは言えないことです。でも、マリアは信じて生きていくと決心したのです。

 神の言葉を信じて、自分に定められた運命を受け入れる。そのマリアの姿から、私はふと、〈相棒〉というテレビ番組を思い起こしました。水谷豊・演じる杉下右京という刑事が、その幅広い知識と観察と推理力を駆使して、相棒の刑事と二人で事件を解決していくドラマです。
 このドラマに、鈴木杏樹が演じる月本幸子という人物が登場します。幸子は自分の夫を殺した暴力団の幹部を殺して、海外に逃亡しようと謀(はか)ります。外国で別人になり済まして、新しい人生を始めようとするのです。ところが、成田空港に行く途中で車が故障。助けを求めて呼び止めた車に乗っていたのが杉下右京でした。幸子の不自然な振舞に気づいた右京は、適当な理由を付けて、空港往きのバスに乗る幸子に同行します。そのバスの中で、幸子が右京に語ります。“幸子という名前なのに、自分は幸せどころかついていない女だ。修学旅行の前日に盲腸になり、初めてのデートは海に流されて死にかけ、大学受験の前夜、家は火事になり、新婚旅行から帰ってきたら空き巣に入られていた‥‥(そして夫は暴力団に殺さる)そんな、ついていない人生は終わりにして、新しい人生を始めるの。邪魔しないで”と。
 しかし、成田空港のゲートをくぐる前に、もう一人の相棒刑事・亀山薫によって暴力団幹部が見つかり、幸子はつかまります。けれども、殺したと思っていたその幹部は、亀山が発見したことにより命を取り留めました。殺人犯にはならず、“あなたはついているじゃありませんか”という言葉に幸子は頭を下げます。そして、刑務所の中で右京がバスの中で言った言葉を思い出して、まじめに、あきらめずに生きるのです。“どんなに不本意な人生であっても、逃げずに、向き合うのでなければ、本当に幸せにはなれませんよ。あなたにはそれができるはずです”。その言葉を思い出しながら、その後、思いがけない出来事が起こっても、事件に巻き込まれても、“明日はきっと良いことがある。人生は必ずやり直せる”と信じて生きていくのです。
 自分の運命を恨(うら)み、呪(のろ)っていた幸子が、杉下右京と出会い、その言葉によって人生を信じて生きて行こうと決心をしたのです。

 マリアも、天使が告げる自分の運命に驚いた、困った、恐れたと思います。けれども、「恐れることはない」(30節)、「神にできないことは何一つない」(37節)という神の言葉を信じて、自分の人生から逃げずに向かい合おうと決心し、覚悟したのだと思います。自分の運命を神さまのご計画として受け入れて、“明日はきっと良いことがある”と信じて生きていこうと決めたのです。その神さまを信じる決心から、神の救いの“人生ドラマ”が始まります。世界の救いが始まります。
 私たちは一人ひとり、テレビ・ドラマの主人公ではありませんが、自分の人生の主人公です。自分の人生は、他のだれも生きられません。人生を取り換えることはできません。自分の人生を逃げずに引き受け、“今日は辛(つら)くても、明日はきっと良いことがある”と神さまを信じて生きていきたいと思います。お互いに祈り合い、励まし合って生きていきたいと思います。



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