2015年4月5日復活祭イースター礼拝子ども説教
  聖  書  ルカによる福音書24章1〜12節
  説教者  山岡 創

「復活と安心」 (子ども説教)


 あの方は復活なさったのだ。イエス様のお墓にやって来た婦人たちに、天使はこう告げました。私たちの罪のために十字架で死なれたイエス様が復活した。聖書は、このように私たちに教えます。
 みんなは、イエス様が復活したと言われて、どう思いますか?。そんなことあり得ない。うそくさい。そう思うかも知れませんね。普通に考えたら、いくら神の子とは言え、一度死んだ人が復活したなんて信じられません。私たちだけじゃない。ペトロさんをはじめイエス様のお弟子さんたちも、イエス様が復活したとは信じられなかったのです。
 確かに、生き返ると考えると信じられないかも知れない。でも、復活は“生き返る”こととはちょっと違います。復活したイエス様は婦人たちやお弟子さんたちの前に何度も現れました。お話もしました。ご飯も一緒に食べました。改めて弟子の使命も与えました。でも、そのまま生き続けたわけではありません。40日経ったら、父なる神さまのそばへ、天国へ昇って行かれたと聖書に書かれています。それは、天国から私たちを見守って、やがて私たちを天国に迎える用意を着々としてくださっているのだと思います。

 みんなは、死んだらどうなるのだろう?、死ぬって怖い、と思ったことはありませんか?。私は、小学校3年生ぐらいの時に、自分は死んだらどうなるのだろう、どこに行くのだろう?と怖く思っていた時期がしばらくありました。それは、当時飼っていた犬や小鳥が続けて死んだからです。その死んでいく様子を見たからです。この犬や小鳥はどこに行くのだろう?、その疑問が、自分は死んだらどこに行くのだろう?という疑問に変わりました。どこに行くのか分からないのです。両親は牧師で、ずっと教会で育ってきたはずなのに、(聖書の話を聞いていなかったんですね)どこに行くのか分かっていませんでした。だから、死んだらどうなるのか、どこに行くのか、ということが、とても恐怖でした。その恐怖心をまぎらわそうとして、子ども心に自分勝手な妄想を描いていました。死んだ犬や小鳥は空の上の、もっともっと高いところを飛んでいるんだ。そこから、地上のぼくらを見下ろしているんだ。いつかぼくもそこに行くんだ。そんなことを勝手に想像していました。もしあの時、イエス様が復活して、天国を準備してくださっていることを知っていたら、信じていたら、あんな恐れや不安は感じずに済んだろうなあ、と思うのです。

 ペットどころか、私たちは、愛する家族や親しくしていた人を失う悲しみを味わいます。やがては自分も死ぬ。その恐れと不安を心のどこかで感じています。もし、死んだ後には天国がある、新しい復活の命を生き始めると信じていなかったら、愛する人を失う悲しみにも、自分が死ぬ不安にも、希望はありません。でも、イエス様は復活して、私たちに天国と復活の命を約束してくださいました。だから、信じる人の心には、悲しみと不安だけでなく、希望があります。慰めがあります。平安があります。




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