2015年9月20日 慶老礼拝説教
  聖  書  使徒言行録2章17〜18節
  説教者  山岡 創

2:17 『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。


「 老人は夢を見る 」
 今日は〈慶老礼拝〉を迎えました。日本の暦では、9月に敬老の日という祝日があります。地域で敬老の行事が行われます。教会でも、敬老の日にちなんで、慶老礼拝とお祝いの慶老食事会を行うようになりました。

 けれども、今日の週報を見て、“あれ?”と思った人がいるのではないでしょうか。と言うのは、“けいろう”という漢字が違うからです。“山岡牧師、また漢字変換を間違えたのではないか?”と思った人もいるかも知れません。でも、そうではありません。
普通は、老いを敬(うやま)う、と書きます。長い人生を歩んで来た大先輩に敬意を表する、今風に言うとリスペクトする、ということです。けれども、坂戸いずみ教会では、老いを慶(よろこ)ぶ、と書きます。これは、信仰ならでは(あっての)、の慶びです。
ともすれば、私たちは老いて年を取ることに、陰気な、暗いイメージを抱きがちです。何かができなくなっていく。忘れていく。体が弱っていく。そして、死に近づいて行く。そんなことを考えると、不安で、希望のないような気持になります。
けれども、見方を変えてみましょう。聖書と信仰によって。聖書は、老人が「夢」を見ることができる、と語っています。
「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る」(17節)。
 「老人は夢を見る」。もちろん、眠っている時に見る夢のことではありません。神さまの霊を注がれて初めて、見ることができる夢です。神さまの霊は、聖書に書かれている神さまの約束を信じる心を与えます。神さまを信じると、人生に希望を抱いて生きることができます。希望の世界を夢見ることができます。もちろん、この夢を見ることができるのは、老人に限りません。「すべての人」が、この夢を見ることができます。

 「夢を見る」という言葉から、私は、マルチン・ルーサー・キング牧師が語った言葉を連想します。キング牧師は、アメリカの黒人の牧師でした。(今は、アフリカン・アメリカーナと言い、黒人とか白人という言い方はしない傾向ですが、分かりにくいので、そのまま使います。ご容赦ください)20世紀の半ば、アメリカでは、黒人の子どもが白人の子どもと遊ぶことを禁じられ、レストランやトイレも白人用と黒人用に分けられていたそうです。そのように、至るところで差別されていた黒人に対する人種差別をなくそうとして、キング牧師は非暴力運動を起こしました。暴力で戦うのではない抵抗運動です。例えば、バスの中で座っていた黒人の女性が、立っている白人に席を譲るようにと運転手から要求されたことがありました。この女性が拒否すると、それが条例違反として彼女は逮捕されました。この時、キング牧師は、黒人の人々がバスを使わないようにするバス・ボイコット運動を起こしました。利用者の大半が黒人だったので、バス会社は困りました。そして、遂にアメリカの連邦裁判所は、バスでの人種差別が憲法違反だと判決を下しました。そのようにして、キング牧師の指導のもとで、アメリカの黒人の人たちは、選挙権をはじめ、多くの権利を得ていったのです。そのキング牧師が、次のような説教を語ったことがあります。
 わたしは夢みる。いつの日か、わたしの4人の子どもたちが、皮膚の色ではなく、その品性によって評価される国に暮らす時が来ることを。‥‥わたしは夢みる。いつの日か、邪悪な人種差別主義者がいるアラバマ州で、黒人の少年少女が白人の少年少女と手をつないで、はらからとして共に歩む日の来ることを‥
(『マルティン・ルーサー・キング』新教出版社)
 絶望しそうになる、あきらめたくなる、仕返しし、暴力に訴えたくなるような差別の時代、神の言葉を、神の約束を信じる信仰があったからこそ、キング牧師は夢を見ることができたのです。

 信仰によって、私たちは夢を見ることができます。老いるということにも、夢を見ることができます。信仰と夢があるならば、私たちは、老いを陰気で、暗いイメージにせずに済みます。
若い人たち、だれか好きな歌手やアイドルはいますか?そういう人のライブやコンサートに楽しく行って来たことがあるでしょう?ディズニーランドに行くのも楽しいですね。年配の方であれば、演奏会に行ったり、観劇に行ったり、おもしろい噺家(はなしか)の寄席(よせ)に行くのも楽しいですね。念願の旅行に行くなんていうのも大きな楽しみです。
 老いて行くことを、そんなふうに楽しい時間にすることもできるのです。なぜなら、老いることは天国に近づいて行く、ということだからです。天国とは、“永遠のパーティー会場、ライブ会場”です。そこに、イエス様が、私たちのためにシートを用意していてくださいます。チケットはもう購入済みでしょうか?(洗礼を受けて、天国に国籍を持つ)‥‥だから、私たちは、希望を持って、楽しい気持で老後を過ごすことだってできるのです。
 そして、私たちの人生の歩みは、永遠のパーティー会場に入るまで、いつも神さまによって守られ、導かれています。人生は色んなことがあります。良いこともあれば、悪いこともあります。でも、すべて込みで、神さまが最善の道に導いてくださいます。大切なことを示し、成長させてくださいます。だから、私たちは、“神さま、よろしくお願いします”と、神さまにおゆだねして歩みます。すると、すべてのことが“感謝”という薫(かお)りを放ち始めます。人生が希望と楽しみという色を帯びて来ます。
 そのように、老いていく人生、神さまによって守られ、希望へと導かれていることを慶ぶ礼拝としたい。慶ぶ信仰を持って生きていきたい。そういう願いを込めて、〈慶老礼拝〉と名付けています。

 老いを慶びながら、生きて行く。山本将信先生という隠退牧師がおられます。長野県の佐久穂町に住んでいます。私も一度、ある研修会でお会いし、お話したことがありました。この先生が、スポーツ・ジムで、ある町の老人会の責任者と知り合い、話したことを、『信徒の友』7月号に書いておられます。
 彼いわく、「老人会なんて陰気くさい名前がいけない。ワクワク会って名前にしようかと思う」と。そこで、「いやあ、老人会でいいじゃないですか。だってボクたちまぎれもなく老人ですから。ただね、老人が陰気くさいというのがいけない。老人を陰気なイメージから、陽気なイメージにするのが我々の使命じゃないですかね。若者もいずれ老人になるんですよ。我々が『歳はとるもんじゃない』と陰気な老人をやっていることは、若者を絶望させるだけですよ。『金はなさそうだけど、自由も時間もいっぱいあって、楽しそうやなあ』って若者をうらやましがらせる老人になりましょうぜ」と答えました。それを聞いて彼はびっくりして私を見つめ直しました。‥‥‥
 山本先生は、76歳を過ぎて大病をなさいました。お連れ合いの夫人も脳出血で倒れました。でも、老いを慶んで生きている姿が感じられます。若者をうらやましがらせる老人になる。今日の御(み)言葉に「若者は幻を見」とありましたが、若者は、老いを慶んで生きている老人たちの夢見る姿を見て、自分たちも幻を、人生の目標を描くことができるようになるのかも知れません。
 けれども、山本先生は、次のようにも言われます。
 老人には老人のミッションがある。まずは若者が将来に希望を持てるような老人になることだ。しかし、必ずしも「何かができる」ことが大切なのではない。最後の任務は、何もできなくても、喜んで受け取ることである。
 そう言って、山本先生は、最後は“良き受け手”になろうと言われます。
 ‥高齢者にゆだねられた任務(は)‥‥良き受け手、ナットになることです。できなくなったことは、いさぎよく依存して、「ありがとう」と言って喜ぶ人になる、これが人間として最後の任務だと私は考えます。‥‥神と人とはボルトとナット、人と人との絆(きずな)も然り。最後は「ありがとう」と言って喜ぶナットになって終わりたいと切に思うこのごろです。
 慶び(喜び)と感謝を持って老いを生きる。私たちは、神さまを信じることによって、そういう生き方をさせていただきたいと願います。





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