2015年11月29日 アドヴェント第1主日・礼拝説教
  聖 書   マタイによる福音書21章28〜32節
  説教者  山岡 創

21:28 「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子 よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
21:29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
21:30 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけな  かった。
21:31 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは 言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう 。
21:32 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは 信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

「 後で考え直して 」
 
今日は、この礼拝(れいはい)の後、教会バザーを行います。3年ぶりのバザーです。その準備のために、バザー委員をはじめ、たくさんの大人たち、また青年や子どもたちが協力してくださいました。いよいよ本番です。この後45分間でこのロビーをセットし直します。そして、地域の方々や私たちの家族や友人たちを迎えます。“いらっしゃい!”“こんにちは!”と元気に挨拶(あいさつ)して、お客様を笑顔でお迎えしましょう。皆さん、今日もよろしくお願いします。
 そのように慌(あわ)ただしい中で、この会堂に移ってから初めてロビーで礼拝を守ることになりましたが、今日から教会では、待降節(たいこうせつ)アドヴェントが始まります。クリスマスへの心の準備の期間、救い主イエス・キリストのお生まれを待ち望む期間です。今日は正面のクランツのキャンドルに1本、火が灯りました。毎週1本ずつ増えていき、4本のキャンドルに火が灯ったとき、クリスマス礼拝を迎えます。今年はその1週間前に、イエス様の誕生物語の劇と礼拝を1つに組み合わせた聖劇礼拝(せいげきれいはい)も予定しています。祈りながら、期待して、クリスマスを迎えましょう。
 先ほどアドヴェントはクリスマスへの心の準備の期間だと言いました。“いらっしゃい!”“こんにちは!”とイエス様をお迎えするために、私たちはどんな心の準備をしたらよいでしょうか?その準備の一つが、“後で考え直す”という心を持つことだと思います。後で考え直すということは、心の中にイエス様をお迎えすることだと言ってもよいことです。

 今日の聖書の中で、イエス様は、父親と二人の息子のたとえ話をしてくださいました。父親が、二人の息子に、「今日、ぶどう園へ行って働きなさい」(28節)と命じます。兄は「いやです」(29節)と答えましたが、「後で考え直して出かけ」ます。弟の方は、「承知しました」(30節)と良い返事をしましたが、出かけませんでした。「この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか」(31節)という話です。
 親に対して反抗的だけれど、親の言葉と心を後で考え直して、不器用だけど実行していく兄。親に対して表面は素直で、調子が良いけれど、実は自分のことしか考えていない弟。こんな兄弟、皆さんの周りにもいませんか?いや、自分自身がこの兄弟のどちらか、かも知れません。
 私は、姉と弟の二人兄弟でした。中学生ぐらいになると、姉は父親に対して、かなり反抗的な態度を取っていたようです。どんなことで反抗していたのかは分かりませんが、姉はしばしば父親と正座で向かい合って、何か叱られているようでした。4歳年下の私は、その様子を、部屋の戸をソーッと3センチほど開けて、見ていました。そんな私は、姉の姿を見て要領が良くなったのか、特に怒られることもなく、自分のやりたいように気ままに生きていました。でも、そんな姉の方が、私よりもずっと親のことを考えていたと思います。たまに外食に出かけると、姉は、親があまり豊かではないことを知っていたので、なるべく安いものを注文していたようですが、私は店でいちばん高い料理を注文したようです。記憶にございません。そんなふうに、姉は親のことを思い、気を遣(つか)っていました。今も姉の方が私よりもずっと親思いです。自分のことを考えると、今日の譬(たと)え話から言えば、私はまさに弟の方だったと思います。

 「この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか」とイエス様は問われました。聞いていた人々は、「兄の方です」(31節)と答えました。当然でしょう。後で考え直して、父親の望みどおりにしたのですから。けれども、私たちはこう考えるかも知れません。「承知しました」と答えて、ぶどう園で働くのが、いちばん良いことではないか。その方が、父親はもっと喜ぶのではないか、と。
 確かに、素直に返事をして、その通りにするに越したことはないかも知れません。けれども、自分のことを考えてみて、私たちはそれほど“できた人間”でしょうか?そうではないと思います。親、先生、友だち、その他、人の言葉を素直に聞かず、落ち着いて考えて受け入れず、反抗的な態度をとったり、自分中心に一方的な聞き方をしたり、言い訳をして自己弁護をしたり‥‥そんなことが少なからずあるのではないでしょうか。後で考え直す必要のない人間など一人もいません。神さまはそのことをよくご存知です。だから、イエス様は「承知しました」と返事をして働くという例を話に出さないのです。
 「いやです」と返事をしても、反抗的な態度をとっても、その間違いに気づいたなら、後で考え直して行動する。それが、父親の望みどおりなのです。神さまの望みどおりなのです。けんかをしても、自分にも悪いところがあったと気づいたら、後で考え直して仲直りする。相手の言葉や態度にカチンと腹が立っても、仕返しなど考えず、後で考え直して少しずつ自分を静めていく。意見や考えが食い違っても、後で考え直して整理してみる。投げやりな態度になっていたら、後で考え直して自分のすべきことと誠実に取り組んでみる。絶望的な気持になっていたら、後で考え直して切り替えてみる。私たちの生活の中で、後で考え直した方が良いことはいくらでもあります。そのような態度と生活へとイエス様は私たちを招いておられます。なかなかできない時は、天を見上げて祈ってみましょう。祈ることは、イエス様を自分の心に呼び入れることです。イエス様が心の中に来てくださったら、私たちは後で思い直すことができるでしょう。

 そして、そのように後で思い直す生活の土台となるのが、神さまとの関係を思い直すことです。神さまを信じないで、自分の力で生きて来た生き方を見直して、神さまを信じ、従い、ゆだねる生活へと切り替えることです。イエス様の時代の徴税人(ちょうぜいにん)や娼婦(しょうふ)たちがそうであったように、私たちも、自分はダメなやつだと思い込み、また周りからそのように見られることがあります。でも、神さまは子どもを愛する父親のように、私たちを愛しています。私たちを認めています。私たちを必要としています。そんな神さまの愛に気づいて、何度でも神さまの愛の中に帰っていく。神さまに愛されていることを信じて、安心して生活する。それが、いちばん大切な“後で思い直すこと”です。クリスマスを迎えようとしている「今日」(28節)、今、改めて自分を見つめ直してみましょう。





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