2015年12月13日 待降節第3主日・聖劇礼拝説教
  聖 書   ルカによる福音書2章8〜20節
  説教者  山岡 創

2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。


「 天には栄光、地には平和 」
 
 今日、私たちはここに集められ、このように聖劇礼拝(せいげきれいはい)を共にしています。この教会が生まれて24年で、初めての試みです。昨年までは、子どものクリスマス会で、クリスマスにちなんだ劇を子どもたちが演じて来ました。けれども、今年は、大人の礼拝に、イエス・キリストの誕生物語の劇を組み合わせて、このような形の礼拝にしました。積極的に言えば、より多くの方にキリスト聖誕の劇を見ていただきたいからです。
 それは、私たちが、およそ2千年前に起こったクリスマスの出来事を、劇を見るという仕方で追(つい)体験するためです。いつもとは違う、初めての礼拝の仕方に戸惑われた方もいるかも知れません。けれども、中学・高校生、青年が演じるクリスマスのシーンを見、そのシーンごとに賛美を歌いながら、いつもとは違う楽しさを、そしてキリストの誕生を味わう喜びと感動を感じている方も少なくないことと思います。

 直前のシーンは、〈天使の賛美、羊飼いの礼拝〉でした。
「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御(み)心に適う人にあれ」(14節)。
練習の時から感じていましたが、この天の軍勢の言葉(賛美)を、天使役の3人が、揃って、力強く語るシーンは、格好良いのです。クリスマス物語の頂点だと言ってもよいかも知れません。
「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(11節)。
 栄光に照らされ、その光の中で天使が告げる言葉を聞いた羊飼いたちは野原からベツレヘムへと出かけます。そして、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てます。彼らは、その光景がすべて「天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行き」(20節)ました。
 演じられている劇のシーンを見ながら、ここで、こうして礼拝を共にし、神さまをあがめ、賛美している私たちは、ある意味で“現代の羊飼い”そのものだと感じました。
 と言うのは、私たちがただ礼拝をしているからではありません。現代の日本において、この坂戸市において、クリスマスに、救い主イエス・キリストの誕生を喜び祝い、神さまをあがめ、賛美する人々がどれぐらいいるのだろうか?とても少ないのだろうなあ‥‥‥と思ったら、自分たちが2千年前の羊飼いたちと重なり合う気がしたからです。
 2千年前に救い主のお生まれを喜び祝い、賛美した人は決して多くはなかったと思います。聖書のクリスマス物語によれば、羊飼いたちと占星術の学者たちだけです。野原で天使の告げる言葉と天の軍勢の賛美を聞いたのは、わずかな羊飼いたちだけでした。天の栄光を見たのは、羊飼いたちだけでした。神さまをあがめ、賛美したのは、羊飼いたちだけでした。その少なさが、今の私たちと重なり合う気がしました。私たちは“現代の羊飼いたち”です。
 今の日本で“クリスマス”という言葉を知らない人は、まずいないでしょう。では、クリスマスの出来事とその物語を知っている人はどれぐらいいるでしょうか?決して多くはないと思います。そして、クリスマスに救い主のお生まれを祝い、礼拝する人は、とても少ないでしょう。
 もちろん、クリスマスをどのように過ごすかは、その人が選ぶことです。家族団らんで過ごしても良い。デートをしても良い。ディズニーランドで楽しんでも良い。キャリー・パミュパミュが、クリスマスはどう過ごされますか?とインタビューを受けた時、友だちと教会の礼拝に行きます、と答えたそうですが、中にはクリスマスは教会に行こうと考える人がいるかも知れません。どんな過ごし方であれ、「地には平和」と天使が歌った平和のうちに過ごせるなら、それで良いのではないでしょうか。
 けれども、平和のうちに過ごせない人々がいます。苦しみ悲しみや絶望のために“心の平和”を失っている人がいます。クリスマスを共に過ごす人がいない人がいます。家族団らんなど望めない家庭があります。そのような人に一人でも、羊飼いたちがそうしたように、救いと平和があることを伝えたい。そのような人を含めすべての人に、救いと平和を伝えたい。それが教会の願いであり、使命です。
 虚無(きょむ)と絶望の闇が世界に広がっています。日本の社会にも広がりつつある気がします。そんな中で、私たちは、天の栄光に照らされ、それを反射する“小さな光”になりましょう。平和の素は“愛”です。人と共に生きる愛、相手を受け入れる愛です。キリストの愛によって神さまに愛されていることを知った私たちは、互いに愛し合い、家庭で、職場で、学校で、身近な人間関係において、この社会の中で、愛を伝え、愛を生きる小さな光となれればと思います。小さな光が増え、集まれば、それは大きな栄光となり、平和となるでしょう。

 恵泉女子学園大学の川島学長から、“クリスマスに教会に行ってはいけない6つの理由”という話を、通っている長女が聞いたそうです。その理由というのは、お金がかからなく戸惑ってしまう。大歓迎され過ぎて嬉しくなってしまう。本当のクリスマスが分かってしまう。最高の友だちができすぎる。生のクリスマス讃美歌が聞けちゃう。教会のクリスマスが良すぎて毎年来たくなってしまう。‥‥だから、行ってはいけない、というのはモロに逆説です。最初は“あれっ、おかしいなぁ?”と思いますが、逆説的なクリスマスへのお誘いであり、クリスマスに示された神の愛を広げていくことなのです。こんなふうに感じて、毎年教会のクリスマスに来る人が、その中から信仰と救いを、愛と平和を求める人が起こされれば、こんなに嬉しいことはありません。私たちも、教会に行ってはいけない‥‥いや、教会に行きたくなる理由を喜び、伝える人となりたいものです。





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