2016年1月24日 大人と子どもの礼拝説教
  聖 書   マタイによる福音書25章14〜30節
  説教者  山岡 創 

25:14 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
25:15 それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、
25:16 五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。
25:17 同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。
25:18 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
25:19 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
25:20 まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』
25:21 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
25:22 次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』
25:23 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
25:24 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
25:25 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
25:26 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
25:27 それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
25:28 さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
25:29 だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
25:30 この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」


「 魂の大小さなことに忠実に掃除 」
 今日読んだ聖書の箇所は、〈タラントンのたとえ〉というイエス様のお話です。タラントンって何でしょう?日本では、お金の単位は“円”ですね。では、アメリカでは?‥‥ドル。ドイツやフランス等のヨーロッパの国々が加盟しているEUでは?‥‥ユーロ。お隣の韓国では?‥‥ウォン。タラントンもお金の単位です。2千年前のイエス様の国で使われていたお金の単位の1つがタラントンです。
 今日のお話は、たくさんのお金、財産を持っていたある家の主人が、ちょっと長い旅行に出かけることになって、自分の家で雇っていた使用人たちに、財産を少しずつ預けていく、という話です。力に応じて、主人は、それぞれの使用人に五タラントン、二タラントン、一タラントンを預けていきました。五タラントン預けられた人と二タラントン預けられた人は商売をして、それぞれ五タラントンと二タラントンをもうけ、主人が帰って来たとき、「忠実な良い僕だ」(21、23節)とほめられました。ところが、一タラントン預けられた人は何もせず地面に埋めておいたので、主人が帰って来たときに、“せめて銀行に入れておけば利息が付いたのに”と叱られる、というお話です。

 この話を聞くと、私たちは、一タラントン預けられた人がちょっとかわいそうになります。と言うのは、この人がいちばん預けられた金額が少ないからです。“そりゃ、預けられた金額がいちばん少なければいじけちゃうよ。この人にも五タラントンか二タラントン預けてあげればよかったのに。この主人は不公平だ”。そんなことを考えるのではないでしょうか。更に、この話を自分自身にも当てはめるかも知れません。“何でこの世は不平等なのだろう。持っている人は持っているのに、私は持っていない。あの人は、あんなに頭が良いのに、私は悪い。あの人はあんなにサッカーがうまいのに、私は下手だ。あの人は成功したのに、私は失敗した。神さまは不公平だ”と妬(ねた)みや不満を感じている自分を思い浮かべるかも知れません。
 確かに、隣にいる人を見れば、自分と違います。この世は皆、同じではありません。お金をたくさん持っている人もいれば、持っていない人もいます。勉強ができる人もいれば、できない人もいます。歌が上手な人もいれば、下手な人もいます。明るくて人気者のような人がいれば、地味で目立たない人もいます。仕事が成功する人もいれば、失敗する人もいます。家族が仲良く幸せそうな人もいれば、トラブルがあって不幸な人もいます。健康で元気な人がいれば、大きな病気を患(わずら)っている人もいます。人と自分を比べれば、何か自分が損をしているような、そしてこの世は不平等、神さまは不公平といった気持になってしまうことがあります。分かっています。分かっていても、その妬みや不満をどうしようもないことが私たちにはあります。

 そんな私たちのことを、神さまはよく見ていてくださいます。良いところも悪いところもちゃんと見ていてくださいます。そして、「それぞれの力に応じて」(15節)タラントンを預けてくださっています。力とタラントンはどう違うのだろう?私もよく分かりませんけれど、神さまは私たち一人ひとりをよく見て、考えて、それぞれにちょうど良いタラントンを与えてくださっている、ということでしょう。聖書の中にも、神さまはその人に耐えられない試練は与えない、という言葉(?コリント10章13節)がありますが、神さまは一人ひとりをちゃんと見て、その人にちょうど良い何かを与えてくださるのです。だから、私たちの人生も、隣の人を見ることはやめて、比べることはやめて、神さまをちゃんと見ることから始まります。そして、神さまをちゃんと見るということは、神さまが自分に与えてくださったものを、ちゃんと見るということです。
 タラントンというのは、決して「少しのもの」(21、23節)、少ない金額ではありません。一タラントンは、当時の6千日分、働いた賃金です。今の日本で言えば、6千万円から1億円ぐらいの金額です。びっくりでしょう?だから、他の人と比べたら、自分の方が少ないと感じるかも知れないけれど、自分に預けられたタラントンは大きいのです。だから、土の中に埋めたらもったいない。きっと自分なりに生かせるものだと思います。
 タラントンと言うと、私たちは能力や才能を思い浮かべがちです。けれども、私はもっと色々なものではないかと思います。能力や才能だけでなく、その人の性格もそう、その人が健康か病気かということもそう、その人の家庭や学校、職場などの環境とそこでの人間関係もそう、家族や友人もそう、今感じている喜びや感謝もそうなら、抱えている悩みや苦しみも、神さまから与えられたタラントンではないでしょうか。もしそうだとしたら、私たちはそのタラントンを土に埋めてダメにしてしまうこともできれば、良い方へ、良い方へと持って行くこともできます。そのための「力」を、私たちは神さまから既に与えられている。その力にちゃんと応じて、それぞれのタラントンが与えられている。そのように自分を信じて良いのです。そのために、くじけそうになる私たちに、神さまはいつも、“いつも一緒にいるよ、ちゃんと見ているよ”と、聖書を通してエールをくださっているのです。

 話は変わりますが、国民的アイドルと言えば‥‥‥スマップ。解散騒動が持ち上がって驚きましたが、さてどうなることでしょう?そのスマップの有名な代表曲と言えば‥‥‥〈世界に一つだけの花〉を思い浮かべます。
  そうさ、ぼくらは世界で一つだけの花、一人ひとり違う種を持つ
  その花を咲かせることだけに一所懸命になればいい。
  小さい花や大きな花 一つひとつ同じものはないから
  ナンバー・ワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリー・ワン
人と比べないで、自分らしく、世界で一つだけの花として咲けば良い、という応援歌です  。
もう一つ、これと似ている、すてきな詩があります。
  神が置いてくださったところで咲きなさい。
  仕方がないとあきらめてではなく、「咲く」のです。
  「咲く」ということは、自分がしあわせに生き、他人もしあわせにすることです。
  「咲く」ということは、周囲の人々に、あなたの笑顔が、
  私はしあわせなのだということを、示して生きることです。
  神が、ここに置いてくださった。
  それはすばらしいことであり、ありがたいことだと、
  あなたのすべてが語っていることなのです。
  置かれているところで精一杯咲くと、それがいつしか花を美しくするのです。
  神が置いてくださったところで咲きなさい。
ラインホールド・ニーバーという人の〈神が置いてくださったところ〉という詩を、渡辺和子さんというシスターが訳したものです。
 自分が置かれた場所、それが私たちのタラントンでしょう。その場所で、自分なりに、自分の花を咲かせたい。一つ一つ与えられているものに、笑顔を込めて、愛を込めて生きていきたい。くじけそうになることもありますが、神さまを信じて、支えてくれる友を信じて進みたいですね。





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