2016年3月20日 受難節第6主日礼拝説教
  聖 書   マタイによる福音書27章44〜56節
  説教者  山岡 創 

27:44 一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
◆イエスの死
27:45 さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
27:47 そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。
27:48 そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。
27:49 ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。
27:50 しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
27:51 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、
27:52 墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
27:53 そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。
27:54 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
27:55 またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。
27:56 その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。


「 神を見た 」
2月10日の水曜日から、教会では受難節(じゅなんせつ)レントという期間を歩んで来ました。その歩みの中で、今日は〈棕櫚の主日〉と呼ばれる日曜日を迎えました。この日から〈受難週〉と呼ばれる、主イエスの十字架刑を金曜日に控えた1週間が始まります。
その受難週の始まりの日曜日が、なぜ、棕櫚(しゅろ)の主日と呼ばれるのかと言えば、この日、人々が棕櫚の葉を振って歓迎する中を、主イエスがろばの子に乗ってエルサレムにお入りになったからです。人々が棕櫚の葉を持ってだれかを迎えるのは、戦いに勝利して凱旋(がいせん)する王様を迎えるしきたりでした。言わば、エルサレムの人々は、主イエスを、イスラエル王国の王として迎えたのです。もう少し丁寧に言えば、ローマ帝国に支配されているユダヤ人を解放し、ユダヤ人の王国を復興する英雄と期待して、主イエスを歓迎した、ということです。時は、過ぎ越しの祭りの真っ只中、ユダヤ人の民族意識が最も盛り上がる時でした。何かを期待したくなるのです。英雄の出現を、民族の解放を、王国の復興を期待したくなるのです。神さまがそうしてくださると期待したくなるのです。
 だから、この盛り上がりはかなり気分的なもので、冷めた時には手のひらを返したように無責任です。エルサレム神殿で行われていた商売を引っくりかえし、その行為に怒った神殿の祭司たちや律法学者たちを説き伏せた主イエスが、彼らに捕らえられ、裁判で有罪の判決を受けたと知るや、人々の態度はくるりと変わります。エルサレムを治めるローマの総督ピラトの前に主イエスが引き出されて来た時、彼らは、主イエスを十字架につけろ、と連呼して、ピラトは遂に主イエスの十字架刑を決定するのです。

 そのような流れの中で、主イエスは金曜日の朝に十字架に架けられます。昼の12時には全地は暗くなり、それが3時まで続いたと記(しる)されています。そして、3時ごろ、主イエスは叫ばれたといいます。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(46節)。
これは、当時のユダヤ人が日常語として話していたアラム語で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(46節)という意味です。
 神さまに見捨てられた、と感じるというのは、非常に絶望的な気持になるということでしょう。皆さんは、神に見捨てられたと感じたことがあるでしょうか?
 私は、自分の人生経験を振り返ってみて、幸いなことに、神に見捨てられた、とまで感じたことはないように思います。精神的に苦しかったのは大学受験の時でした。大げさに言えば、生きる目的を見失った私は、何のために勉強するのか、その目的を見出せず、まるで光の見えない真っ暗やみの中に置かれているような気分でした。ダメ人間、役立たず、嘘つき‥‥様々な気持が心の中で複雑に交錯しました。それでも、私は、神に見捨てられた、とは思いませんでした。こうなったのは自分の責任だと思っていたからです。
 あるいは、牧師になって1年目、大きな失敗をして、自分が牧師でいることが嫌でたまらない、苦しかった時期が数年続きました。だれも知っている人のいない場所へ逃げ出してしまいたいような日々が続きました。それでも、神に見捨てられたとまでは思わなかったように思います。やはりどこかで、こうなったのは自分のせいだと思っているのです。そして、心のどこかで不思議と神さまを信頼していたのでしょう。あるいは、神さまのせいにするのは申し訳ないと思っていたのかも知れません。
 苦しみ悲しみを経験して、自分の知恵も力も全く及ばないと途方に暮れ、打開の道すら見つからず、神に見捨てられたと感じる。今まで神さまと共に歩んで来たのに、いきなり裏切られ、必要ないと捨てられたかのように感じる。しかも、その理由が分からない。原因が分からない。何か自分に落ち度はあったのだろうか?それすら見えない。それが絶望感を倍加させ、訳の分からない不条理な苦しみへと私たちを突き落とすのです。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」との叫びは、自分の力ではもはやどうにもならないという絶望感と、そうなった理由が分からないという不条理感が重なった二重の苦しみでしょう。

 東日本大震災から丸5年が経ちました。被災地と被災した人々のその後を放映した番組をいくつか見ました。その中に、ある役場の公務員の男性の経験を取り上げたものがありました。震災が起こり、津波が押し寄せた時、この方は役場の屋上に逃げたそうです。屋上から自分の家が見える。そこで自分の家が津波に飲み込まれる様を見た。ほどなく役場にも津波が押し寄せて来て、辛うじて助かった。
 津波が引いた後、家にいた妻は行方不明になっていた。この男性は、退職直前だったそうですが、退職を延長して、住民の家庭を訪問し続けました。市の対策が悪かったのだと怒りをぶつけられることが少なからずあったそうですが、ただひたすら頭を下げ続けた。そうした仕事と生活が続く中で、妻は1年後に、浜辺で発見されたそうです。その後、この方は3年役場での仕事を延長して退職、今、ようやく妻の死と向き合おうという思いが湧いて来たところだという内容でした。
 この5年間、どんな気持で生きて来られたのだろうか?真っ暗な闇の中を歩んで来たのではなかろうか?なぜ東北の地に地震が?なぜ自分の町に津波が?なぜ自分の妻が?そんな“なぜ”という不条理な悲しみと怒りを感じて来られたのではなかろうか?自分の気持を封印し、押し殺して来たこともあったのではなかろうか?叫びたい時も少なからずあったのではないか?‥‥‥勝手ながら、この方のお気持を想像せずにはいられませんでした。どんなに苦しく、辛(つら)い5年だったでしょうか。それは、なぜ神は自分を見捨てたのかと叫んだとしてもおかしくはない苦しみの歩みだったのではないかと思うのです。
 そのような、私たちもまた経験することがあるかも知れない苦しみ悲しみを思いながら、主イエスの十字架に、主イエスの叫びに改めて心を留める。その時、考えさせられるのは、もしも主イエス・キリストが、十字架の上で、精神的にも、肉体的にも究極の苦しみを味わわれたことに意味があるとすれば、それは主イエスが「神の子」(54節)として、私たち人間が味わう、絶望的で、不条理な苦しみ悲しみを経験するためだったのではないかと想像します。それは、“神”が私たち“人間”の共感者として、共にいてくださり、支えてくださる方になるためだったのではないでしょうか。口先だけで慰めるのではなく、ご自分も味わわれた者として慰め、励ますためだったのではないでしょうか。そして、この絶望的で、不条理な人生にも、その先に希望の朝があることを示すためだったのではないでしょうか。それが、主イエスの復活という出来事によって示されているのです。主イエスを信じる者には、主イエスが十字架の苦しみと死を味わわれた後に、復活されたことを信じることによって、自分自身の苦しみ悲しみの人生にも、神さまが見捨てたのではなく、後にやがて、復活の朝を用意してくださっていることを信じる希望が湧いて来るのです。私たちには、自分の力、人の力に頼むのではなく、神の力、神の愛を信じる生き方が、信仰を通して与えられるのです。

 けれども、その希望の光がすぐに見えるわけではありません。それが見えるようになるには、12時から3時まで、全地が暗くなったという出来事に象徴される、“真っ暗闇の3時間”を過ごさなければならないでしょう。“なぜ”と問い続け、訳の分からない、意味の見えない年月を過ごさずに、おそらく私たちには希望の光が見えないのではないか、頭ではこの希望の御(み)言葉が理解できても、心で納得するまでに、どうしても過ごさなければならない時間があると思われます。
 その真っ暗な人生のトンネルを抜けた時、私たちは、「本当に、この人は神の子だった」(54節)と告白することができるのではないでしょうか。主イエス・キリストを通して、神が自分と共にいて、慰め、支え、導いてくださる救いを見ることができるのではないでしょうか。
 そのように、人生のトンネルを抜ける瞬間が、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け(る)」(51節)という表現で表わされています。
 話が余談になりますが、福音書には編集者がいます。口伝えに伝承されてきたことを文字にまとめ、そこに独自の信仰的な編集を加えるのです。例えば、マタイによる福音書は、その素材の多くをマルコによる福音書から得ています。今日の箇所もそうです。けれども、マルコの同じ個所と読み比べてみると、マタイにしかない記述があります。それは、マタイが編集して加えた部分です。言わば、マタイによるプロデュースです。
地震や、死んでいた人たちが生き返ったという出来事は、マタイ独自のプロデュースです。それらは、単にフィクションということではなく、旧約聖書の中で、世の終わりの時に起こると預言されていた出来事なのです。その預言の内容を書き加えることによって、これは予め神が計画されていたことなのだ、それが起こったのだ、と読者に伝えたいのです。主イエスの十字架の死は、理由も意味も分からないものではなく、神の救いのご計画の中で、神がなさった出来事なのだと伝えたいのです。
 神殿の垂れ幕が裂けるという出来事もその一つです。神殿には、大祭司しか入れない部屋があり、その場所が垂れ幕で隔(へだ)てられていました。大祭司は1年に1度、その部屋に入り、人々の罪を贖(あがな)う犠牲をささげる儀式を行いました。つまり、人は神の救いに自分からはなかなか近づくことができなかったのです。その象徴が隔ての垂れ幕です。
ところが、主イエスが十字架の上で死なれたことにより、私たち人間すべての罪を贖う犠牲が完全にささげられ、もはや大祭司の儀式は必要がなくなった。私たちは、主イエスを信じることによって、神の愛と赦しと救いを直接受けることができるようになった。垂れ幕が裂けてなくなったというのは、このことを表わしているのです。
 私たちの人生には、絶望を感じる出来事が起こります。“なぜ?”と不条理を感じずにはいられない苦しみが起こります。真っ暗な3時間があります。しかし、絶望と不条理のトンネルの中に、主イエスが、神が共にいてくださいます。気がつけば、人生とは、神が重荷を共に負って歩んでくださる道です。それを信じた時、トンネルの出口の垂れ幕は裂けます。そこから希望の光が、救いの光が差し込んで来ます。その光を見るために、私たちは、十字架の出来事を見守りながら、信仰を求め続けるのです。




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