2017年2月26日 大人と子供の礼拝説教
  聖 書 ヨハネの黙示録4章8〜11節
  説教者  山岡 創牧師

4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
4:9 玉座に座っておられ、世々限りなく生きておられる方に、これらの生き物が、栄光と誉れをたたえて感謝をささげると、
4:10 二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った。
4:11 「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです。」


「 栄光と誉と力とを受けるにふさわしい方 」
 子どもチャペルの礼拝では、1月の初めから〈主の祈り〉について、マタイによる福音書から学んで来ました。マタイによる福音書6章には、主イエスが弟子たちに、「こう祈りなさい」(9節)と言って、主の祈りを教えておられる箇所があります。
 けれども、私たちが普段唱えている主の祈りの中には、主イエスが弟子たちに教えていない言葉が1つ含まれています。それは、主の祈りのいちばん最後の部分、“み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです”という賛美の言葉、神さまをほめたたえる言葉です。これはマタイによる福音書にはない言葉です。
 主イエスが弟子たちに教えた祈りを、教会はバトンのように受け継いで、大切に祈って来たのでしょう。けれども、教会で、みんなで祈っていて、“わたしたちを誘惑から導き出して悪からお救いください”という言葉で祈りが終わるのは、何だかしっくり来ないものを感じたのかも知れません。そこで、主の祈りの閉めの言葉として、最後の賛美の言葉が付け加えられたと言われています。
 この賛美の言葉は、神さまが何でもできる、力ある方だとほめたたえている言葉です。旧約聖書のはじめの創世記に、神さまが天地を創られた物語が書かれています。神さまは、何もないところから希望の光を造られた。何もないところから、大空を造り、海と陸を造り、草木を造り、太陽と月と星を造り、動物を造り、人間をお造りになったのです。だから、この天地は神さまのもの、この世界は神さまが治め、導いておられる。そして、この世界が表わす栄光もすべて神さまのもの、その力は永遠に神さまのものだと、神さまに絶大な信頼を寄せているのです。
 別の言い方をすれば、主イエスが〈主の祈り〉を弟子たちに教える時に言われたように、神さまは、「願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」(マタイ6章8節)ということを、祈り求める者には必ず「良い物」(7章11節)をくださるという確信、それができる方だという信頼を込めた賛美だということです。
 だから、“み名があがめられますように”から“わたしたちを誘惑から導き出して悪からお救いください”まで祈って来て、最後に、祈ったことはすべて私たちに必要なことだとあなたはご存じで、それをくださる全能の力をあなたは持っておられます。アーメン、そのとおりです、と私たちは主の祈りを結ぶのです。
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 さて、今日は、ヨハネの黙示録(もくしろく)という、新約聖書の最後にある書物を読みました。滅多に読まない書です。旧約聖書の創世記には、神さまが天地をお造りになったという天地世界の始まりの物語が描かれていました。そして、この天地世界には終わりがある。その終わりの様子を描いているのがヨハネの黙示録です。神さまが、この天地世界を終わらせるのです。どうやって終わらせるかと言うと、“新しい天地”に入れ替えるのです。今までの世界は、人の罪があった。いじめがあった。争いや戦争があった。災害もあった。苦しみ悲しみがあった。死があった。でも、新しい世界は、死もなく、悲しみも涙もなく、苦しみなく、争いもなく、愛にあふれ、みんなが心から笑顔でいられる世界です。そんな世界を神さまがもう一度創ってくださる、というのです。まさに“夢の国”です。
 今日の聖書箇所では、そういう新しい世界である神の国で、どんな礼拝、どんな賛美がなされているかということが描かれています。皆さん、ちょっとプロジェクターの映像を見てください。私が読んだヨハネの黙示録の参考書に、こんな絵が載(の)っていました。天上の礼拝、新しい世界での礼拝の様子です。まん中の玉座に座り、巻物を持っているのが神さまです。その周りにいる4つの生き物が、獅子(ライオン)のような、雄牛のような、人間のような、鷲のような、背中に6つの翼があり、その翼の一面に目がある、と書かれている生き物です。天使の代表でしょうか?ちなみに、目がたくさんあるというのは、すべてを見通す知恵を持っている、という意味だそうです。
 それら4つの生き物の周りには、24人の長老たちがいて、やはり神さまを礼拝しています。これら24人の長老が、神さまを賛美している言葉、「主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方」(11節)と賛美している言葉こそ、私たちが〈主の祈り〉において、“み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです”と賛美する言葉の元になっている賛美です。
 そして、今日の箇所の後には、4つの生き物と24人の長老たちを囲んで、多くの天使たちが神さまを賛美し、さらに天に迎え入れられた、数え切れないほどの人々の大群衆が賛美を歌い、すべて神さまによって造られたものが賛美する礼拝の様子が描かれています。私たちが主の祈りの最後に祈る賛美の言葉は、こんなに壮大なスケールを背後に持った言葉なのだと、私も改めて知りました。
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 さて、今日の聖書箇所で、私が心に留めたのは、24人の長老たちが「自分たちの冠(かんむり)を玉座(ぎょくざ)に投げ出して」(10節)という言葉です。冠をかぶっているということは、どこかの王様だということでしょう。つまり人間の代表として、神さまの周りにいるということでしょう。その24人の長老たちが、冠という、自分の力(権力)のしるし、地位と名誉のしるし、富のしるし、栄光のしるしを、神さまの前に投げだした、というのです。“こんなものは、もう要りません!”と捨てた、ということです。
 力、地位、名誉、富、栄光‥‥‥こういうものって、この世の偉い人たちが何としても手に入れたと願っているものではないでしょうか。いや、私たち一般庶民でも、ちょっと小さくても、こういうものを手に入れたいとあくせくしているところがあります。もちろん、生活していく上で、これらのものが全く必要ないわけではありません。けれども、必要以上に手に入れようとし、そのために欲のとりこになったり、悪いことをしたり、他人を蹴落としたりするようになったら、それは人として違うと思います。
 “み国も力も栄光も‥”、私はこの賛美の言葉から今日の説教の準備をする時、ふと悪魔のことを思い浮かべていました。悪魔が主イエスを誘惑する場面です。悪魔は主イエスを、とても高い山に連れて行って、この世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」(マタイ4章9節)と主イエスに言いました。この世は神さまが造られた世界なのに、悪魔はまるで、自分のものででもあるかのように主イエスを誘惑します。いや、私たちのことも誘惑します。さあ、この世界を手に入れて、自分のものとせよ。力を手に入れよ。地位を、名誉を手に入れよ。富を手に入れよ。そのためには何でもせよ。悪を行え。嘘をつけ。人を蹴落とせ。争え。‥‥‥それが悪魔の誘いであり、悪魔の道なのでしょう。その道に先には、決して本当の喜びはありません。幸せはありません。愛はありません。
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 この世界は神さまが治める世界。神さまは、私たち一人ひとりを導き、必要なものを与え、生かしてくださる。そういう神さまの力と愛を信じる時、私たちは、自分の冠を投げ出します。自分の手の中に必死で抱え込んでいる力を、地位と名誉を、富を、栄光を投げ出します。そして“よろしく”と神さまにおゆだねして歩き始めるのでしょう。
 クリスマスに、主イエス・キリストを礼拝するために遙々(はるばる)やって来た占星術の学者たちのことを思い起こしました。一方でヘロデ王は、すべてを自分の手に入れようとし、学者たちをだまそうとし、人殺しまで行います。けれども、学者たちは、イエス・キリストを発見し、礼拝し、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を献げたと記されています(マタイ2章)。つまり、彼らは、自分の宝を、自分の冠を、イエス・キリストの前に、神さまの前に、“もう要らない”と投げ出した、ということです。そんなものを必死に求めて、必死に抱え込んで生きていかなくても大丈夫だと分かったからです。み国も力も栄光も持っておられる神さまが、自分のことを愛して、必要なものをくださり、生かしてくださる恵みを発見したからです。
 言葉を換えて言えば、自分の力で生きて行かねばならないという道しか見えていなかったのが、神さまに“よろしく”とおゆだねして、神さまに生かされて生きていく道があるということを発見したのです。それが、占星術の学者たちが歩き始めた「別の道」(マタイ2章12節)でした。
 “み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです”と祈ることは、神さまの力と愛を信頼し、よろしくお願いしますとゆだねて生きることです。主の祈りを祈るたびに、神の恵みを、私たちの生きる道を再確認していきましょう。