2018年2月18日 埼玉地区講壇交換礼拝(埼玉新生第2礼拝)説教
  聖 書 エフェソの信徒への手紙2章8〜10節

  説教者  山岡 創牧師

2:8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
2:9 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。
2:10 なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。



「 神の大切な作品 」
先日、松山女子高校の書道展が東松山文化会館で行われ、東松山市に住む教会員の方と一緒に見に行きました。かな文字の続き文字の作品や漢文の作品など、数多くが展示されていて、私はなかなか読めなかったのですが、その書の持つ雰囲気を味わって来ました。実は今日、坂戸いずみ教会から一緒に来たメンバーの中に、松山女子高校の書道部に所属しているYさんがいます。彼女はたぶん、書道部女子の全国大会・ガールズ甲子園でのパフォーマンスに憧れて、松山女子高校に入学したのだと思います。
 今から8年ぐらい前に、愛媛県の四国中央高校の書道部をモデルに、〈書道ガールズ・わたしたちの甲子園〉が映画化されました。そして、主題歌として、今は既に解散したファンキー・モンキー・ベイビーズの〈大切〉という歌が一躍、大ヒットしました。皆さんもどこかでサビのメロディーぐらいはお聞きになったことがあると思います。
   あなたが笑ってて  あなたの声がして
   普通に日が暮れて  また明日ねって手を振る
   ありふれて見えても  あたりまえなんかじゃない
   あなたといる日々が  なににも代えられない  大切 大切 大切
この歌を聴いていると、思わず心がジーンと熱くなってきます。カラオケで、だれかのために思い切り歌いたくなったりします。
ところで、日本に最初にキリスト教を伝えた宣教師たちは、“神さまの愛”を表す言葉(ギリシア語/アガペー)を日本語に訳すのに、とても苦労したようです。当時、日本には、“愛”という言葉がなかったか、それとも全く違う意味で使われていたのでしょう。そこで、宣教師たちは“神のご大切”と訳したのだそうです。神さまが大切にしてくださる。それが、いちばん神の愛を訳すのにピッタリの言葉だったのでしょう。
 神さまが私たち一人一人を愛してくださる愛。それは、神さまが私たち一人一人を大切にしてくださっている、ということです。天国にカラオケ・ボックスあるか分かりませんが、神さまは天の上で、私たち一人一人に向けて、あの〈大切〉という歌を熱唱しておられるのかも知れない。ふと、そんなイメージを抱きます。
 どうして神さまは、私たち一人一人を、そんなに大切にしてくださるのでしょうか?それは、神さまが自分で、私たち一人一人を思いを込めてお造りになったからです。

 今日読んだ聖書の10節に、「わたしたちは神に造られた」と、「キリスト・イエスにおいて造られた」という言葉が2回出て来ました。神さまは、私たち一人一人をお造りになり、命を与えてくださったのです。
 旧約聖書の初めに創世記という書がありますが、その冒頭1〜2章に、神さまの天地創造物語が描かれています。神さまが6日間で、天地とそこに生きるものをお造りになった。人間もお造りになった。もちろん、文字通り、創世記に書かれているような現象があったということではありません。私たちが生きる宇宙、世界、そして生き物が生成する過程は、科学が言うようにビッグ・バンでも進化論でもいいのです。聖書が言いたいのは、天地創造の現象ではなく、その動機です。すなわち、それは偶然起こったのではなく、そこに神さまの意思と力が働いているということです。天地のすべてのものは、神さまのご計画によってできた。そして、私たち一人一人も、神さまの御心(みこころ)によって造られ、命を与えられていると聖書は言いたいのです。
重要なのは、この天地創造物語の最後の言葉です。すべてを造り終えたとき、「見よ、それは極めて良かった」(31節)と言われています。極めて良かった。それはつまり、神さまは、自分がお造りになった世界を見て、人間を見て、“最高傑作だ”と自画自賛した、ということです(神さまは結構ナルシストですね)。最高傑作って、どういうことか。何かと比べて、よくできたという意味ではないと思います。神さまが心を込めて、丹精込めてお造りになったから、一人一人が、“神の最高傑作”なのだと思います。
皆さんは、何かをつくるのは好きですか?‥‥私は、大工仕事で家具を作るのが好きです。家庭菜園で野菜を造るのも好きです。台所で料理を作るのも好きです。お弁当を作るのも好きです。サッカーやバスケットボールといったチーム・スポーツでゲームの流れをつくるのも好きです。つくるの大好きです。
子供の頃の私は、“工作少年”でした。ボール紙とはさみとセロハンテープで、ロボットや戦艦や戦闘機をつくり、油性のカラーペンで色を塗りました。学校から帰ってから、5時間も6時間もかけて、ご飯も食べずに(よだれを流しながら)つくりました。何カ月もかけて1mもある宇宙戦艦ヤマトをつくったこともあります。丹精込めてつくった作品は、大切な宝物でした。大事にしました。ある時、友達から作った作品をバカにされて、悔しくて、取っ組み合いの大げんかをしたこともありました。
 大人になってから、ガンダム・シードというロボットのプラモデルを、子どもと一緒に、夜中までかかって幾つもつくったこともありました。
 でも、紙やプラスチックで作ったものは壊れやすいんですね。ちょっと動かして遊んでいると、関節の部分なんか、すぐに壊れてしまう。でも、捨てたりしない。一生懸命修理します。それは、自分が一生懸命、愛情を込めてつくった宝物だからです。何とか直したいと思う。大切だからです。
 神さまもそういう気持なんだと思います。いや、もっともっと、ご自分が愛情を込めて、一生懸命お造りになった私たちだから、大切なのです。宝物なのです。だから、たとえ私たちが壊れても直したい。私たちが神さまとの関係を壊して修復したい。私たち一人一人が、神さまを無視して背中を向けていても、神さまの心から離れた生活をしていても、大切なものとして見守っていてくださる。“きみは大切なんだよ”という気持を伝えて、私たちとの信頼関係を回復したいと願っておられるに違いありません。その神さまの気持、“神のご大切”が自分の心にジーンと沁みると、私たちはそれまでとは違う心で生き始めるようになる。神さまに愛されているから、だいじょうぶと安心して生活するようになる。

 愛されていることを感じると、私たちは安心します。自信を持ちます。けれども、私たちはともすれば、自分が“良い子”だから愛してもらえる、と思っている時があります。だから、偽(いつわ)って“良い子”を演じる。自分が勉強ができるから、スポーツができるから、音楽や芸術ができるから、何かができるから愛してもらえると錯覚していることがあります。だから、一生懸命に努力をする。愛を失うのが怖いからです。けれども、愛って、そんな条件付きのものでしょうか?
 今日読んだ聖書の中に、「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません」(8〜9節)とありました。これは、あなたが神さまに愛されているのは、あなたの努力、あなたの行いによってじゃないよ。無条件だよ。神さまの恵みだよ、と言っているのです。もちろん、仕事でも、勉強でも、運動でも、生活態度でも、努力をするのは貴(とうと)いことです。けれども、それだから、神さまが愛してくださるのではありません。神さまは、私たちが何かをできなくても、良い子でなくても、罪人でも、無条件に愛してくださっているんです。それは、神さまという方が、私たち一人ひとりに愛情を注いでお造りになったからです。言わば、“親”のような、いや親以上に、一人ひとりを大切に思われているからです。
 ある方が、“わたしは神さまを信じているのに、人間関係に問題ばかり起こして、自分を正当化しようとして、偽善者なんです。こんなんじゃ、ともて愛される資格はない、クリスチャンなんて言えない”とお話してくださいました。皆さんの中にも、自分をそんなふうに感じたことがある人もいるのではないでしょうか。自分にクリスチャンらしい善い行いがないと恥じ、神さまに愛される資格はないと感じてしまうのです。
 私は、本当に偽善者の人は自分を偽善者だとは思わないこと、またクリスチャンであっても善い行いができるとは限らず、むしろ自分を見つめ、反省し、神さまに赦(ゆる)しを祈りながら、慰(なぐさ)めと希望を与えられるために信仰生活をしているのがクリスチャンですよ、神さまは立派な人よりもむしろ、そういう人を愛してくださるようですよ、だから○○さんも神さまに愛されています、だいじょうぶです、とお話しました。

 行いがあるから愛してくださるのではない。神さまの愛は無条件です。それを信じて、安心して、感謝して生きることが「善い業」(10節)です。聖書が言う善い業とは、道徳的に善い行いではなく、神の愛を信じて生きることです。神さまが、私たちを、この善い業のために、信じることができるように造ってくださったのです。
 神さまは失敗しません。私たちは、神さまに造られた、大切な、大切な作品です。神さまの愛を注ぎこまれた、価値ある最高傑作です。どんな時も神さまに愛されている存在です。本当ですよ。信じて、安心して、自信を持って、落ち込みそうになったら思い出して、進みましょう。